mixiユーザー(id:1762426)

2020年06月12日08:32

69 view

キリシタン紀行 森本季子ー144 聖母の騎士社刊

天草・歴史の幻影ー8

市役所では商工観光課長・宮本重安氏にお目にかかり、本渡のキリシタン遺跡についてお尋ねした。氏は資料をそろえ、懇切な説明に加えて、市役所専用の天草地図まで添えて下さった。
 シスター井上と別れて私は祗園橋を目ざした。本渡で是非見ておきたい場所の一つである。町山口川が市の中央を貫流し、本渡港に注ぐ手前にかかる古橋である。天保三年(1832)の架橋で、天草の乱より百九十五年後、今より百六十年前になる。石柱四十五余本に支えられた珍しい多脚式アーチ型で、石材の色も形も実際の年代よりもはるかに古びて見える。この古色蒼然とした様が何とも言えずいい。長崎の眼鏡橋のモダンさもなく、岩国の名橋・錦帯橋の豪華さもない。が、いかにも天草らしい素朴さで人の心を引きつける。破損場所は木材で補修され、歩行者以外の渡橋を禁じている。
 天草一揆と無関係なこの橋が、町山口川渡河戦の目撃者、と信じたいほどの年代感を与える。干潮時に浅瀬の岩が露出するこのあたりは、架橋以前、町山口川の渡渉地点であったようだ。
 本渡の瀬戸を渡った一揆勢が、町山口川の渡河で寺沢藩兵と激戦を交えた地点はこの祗園橋の付近であった。農民集団と一藩の正規兵との戦闘が激しいものであったことは〈町山口川は両軍の流血で真っ赤に染まった〉と、今に言い伝えられている。ここでも討伐側が敗れ、指揮官の番代・三宅藤兵衛が戦死した。残兵は富岡城へ走り、四朗軍をむかえることになる。
 祗園橋を渡り、川に沿って徘徊すると、かっての激戦の様が幻のように浮かんでくる。
 雲間を離れた太陽に川面はキラキラと光り、水は古橋の下を瀬音を立てながら流れてゆく。

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する