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2020年06月10日09:49

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キリシタン紀行 森本季子ー142 聖母の騎士社刊

天草・歴史の幻影ー6

 しかし信徒が安住できたのも束の間である。世は豊臣から徳川へと激しく変わっていった。キリシタンの保護者・小西行長が関ケ原の戦いに敗死し、天草は唐津藩・寺沢氏の飛領地となる。そして、幕府のキリシタン弾圧は更に厳しさを増してゆく。
 唐津藩では天草下島の富岡に城を築き番代(城代)を置き、天草統括とキリシタン取り締まりの中心とした。天草は耕地の少ない貧しい島である。その生産物をはるかに越えた課税と凶作続きに、農民はキリシタンであろうと無かろうと生きる余地は無かった。
 彼らが結集して、事実上旗揚げしたのが上津浦である。この時、富岡城の番代は三宅藤兵衛。彼は富岡から兵を率いて一揆鎮圧に向かった。

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