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2020年05月21日23:55

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権利

日本という「国民国家」について
考えるためには、歴史にも
踏み込まざるを得ないという話です。

「自民党の消滅」で
最も強調したかったのは、
「権利」という概念についてです。

我々日本国民
(日本人だけではないでしょうが)の多くが、

「自分には生まれながらにして、
 ○○の権利がある」

と、勘違いをしています。

とはいえ、実際には我々
「人間」に何らかの普遍的な
権利があるわけではありません。

「我々には普遍的な権利がない」

ことの証明は、

「無人島で孤独に暮らす
 ロビンソン・クルーソーには、
 何の権利があるのか?」

という問い一発で完了です。

無人島に漂流した
ロビンソン・クルーソーには、
もちろん何の権利もありません。

理由は、無人島にはロビンソンの
権利を認めてくれる共同体が存在しないためです。

権利とは、我々が特定の共同体
(人間の集まり)に属して
はじめて創出される概念なのです。

「いや、基本的人権を始め、
 自分の権利は憲法や
 国連憲章で認められている」

と、反発する人は、
その憲法やら国連憲章やらは、
何なのかを改めて考えて下さい。

無論、国家や国連といった
共同体が定めたのが憲法や憲章です。

つまりは、
「生まれながらに
 備わっている基本的権利」
と思われがちな権利にしても、
国家や国連といった
「人間の集まり」が
認めているからこそ存在するのです。

無論、人間が集まったとしても
互いに「コミュニケーション」を
取れないのでは、権利は生じ得ません。

権利とは、
「人間と人間との間の決まり事」
であるため、言葉というツールが
なければ発生しません。

欧州の啓蒙思想家たちは
「人間には生まれながらにして
 持つ普遍的な権利、自然権がある」
と主張したのですが、

その際に「人間の自然権を認める存在」
として「創造主(神)」を
持ち出さざるを得ませんでした。

アメリカ独立宣言には、
「すべての人間は生まれながらにして
 平等であり、その創造主によって、
 生命、自由、および幸福の追求を
 含む不可侵の権利を与えられている」

とありますが、
まさに「創造主の存在」こそが、
自然権(不可侵の権利)を全ての人間に
「与えてくれている
 =認めてくれている」
という考え方になっているのです。

現実には、創造主も神も、
少なくとも「権利を認めてくれる者」
としては存在しません。

我々の権利は、社会共同体が存在し、
我々がそこに所属しているからこそ
「認めてもらっている」に過ぎないのです。

そして、現代において
「人々の権利を認める共同体」
の代表を「国家」と呼びます。

さらに、
国民国家の主権者は、我々国民です。

我々は「自分の権利」
「家族の権利」を守るために、
国家という共同体に関わる必要がある。

そして、国家が
「誰か他の国民の権利」を
守らないということは、自分の権利も
守られないということを意味します。
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