生活に密接に繋がる情報の、知ると知らないとの違いは大きい。
テレビで若者の地域密着新築建築を街が奨励補助する制度があることを知り、役所に問い合わせると、今年度の3月で終了したという。
建築会社は隣町の企業だったためか、その制度を誰も知らないままの建築となった。着工前に申請するというその制度の差は三百万円となると、大きい。去年度着工。知らない痛手は大きい。
今は魅了する制度を歌って各町が若者を迎える。人口減少の対策だ。
後から知れば、後の祭り。
現在の日本はこのような、たまたま知るというギャンブル性がここの所激しかった。
当たるか負けるか。情報だけではない。仕事もまた当たるか負けるか。
経済競争は人(顧客)を奪い合う姿に拍車をかけた。
結局は株価であるのだが、人の集まる場所に文化はできる。そして株価は上がる。
その獲得がまたギャンブル。
このコロナウイルス問題は、神様からの恵みなのかもしれない。
聖書の世紀末そのものだから、確信してそのように思えてくる。
申請システムにする訳はなぜだろう?
全員が申請してしまっては、街の経済が立ち行かなくなるからか?競争社会で情報能力格差をつけるためか?
どう考えても、同じ条件であれば、税金の支払い時に自動割当を行えばよいだけではないだろうか?
しかし規則は刻々と変わる。憲法さえ変わる可能性もはらむ現代。時代は変わる時と共に、規則も次々と変化していく。
小学校の入学自動が案内を受けるようには行かないのかもしれない。
現代は現実に存在する人間も、登録されず学校に行くことのできない子供も増えてきているのかもしれない。
時代を経て退化を迎える時期なのかもしれない。
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