mixiユーザー(id:6152701)

2020年05月08日18:56

99 view

有事の際には、平時の際とは異なる思い切った政治運営が求められる

有事の際には、平時の際とは異なる思い切った政治運営が求められる。
平時であれば、票田や献金元となっている大企業へ顔を向けた政治をしていても、許されるであろう。しかし非常事態下にあっては、既存の枠組み、考え方、ルールを外れてでも、毅然とした対応で国民全体を正しい方向へ導かなければならない。
しかし残念ながら、現政権にその資質のないことが、今回の事態によって明らかになってであろう。
間違いのその一は、政権、特に安倍首相が、今回のウイルスの危険性について自分の考えで判断し、それを国民に伝えられなかったことだ。
専門家の話を参考にするな、という話ではもちろんない。むしろ様々な見解を持ち合わせた専門家の意見を幅広く募り、その中から最終的には、首相自らがリスク評価すべきだ。国民は、コロナウイルスについて、世界的に見ても致死率がそれほど高くないことを知っていながらも、安倍首相の独断により、不自由な生活を強いられることになった。そしてそのやり方も、安倍首相自身がウイルスについてのリスクを判断できていないことから、実に中途半端な措置となった。市民の外出の自粛、企業の営業活動の停止についてはいずれも「要請」という文言で伝えられ、「要請」を受けた国民の側がそれに従うかどうかの判断を迫られたため、結果的に足並みがそろわなかった。
もし、安倍首相がこのウイルスのリスクを大きいものと見ていたのであれば、もっと強い言葉で制限がかけられたはずだ。
間違いのその二は、経済活動を停止させてしまったことだ。
安倍首相が、今回のウイルスについて、国内の経済活動を一時期停止してでも流行を食い止めるべきだ、という判断をしていたのであれば、それはそれでよい。しかし、それをするのであれば、国民に対しては当然その間の補償が必要であった。それが、今回は何とも中途半端だった。
細かな数字は省くが、国民には十万円、企業には二百万円などが今回の給付の主な内容であったが、経済活動を停止するのであれば、その間の国民の生活は百パーセント国が補償する、というくらいの覚悟が必要であったろう。その際必要になる額を、年間のGDPから単純に割り出してみると、仮に一カ月間経済を停止させるのであれば、約四十五兆円の補償が必要ということになる。
先の見えないウイルスとの闘いの中で、これが二カ月、三カ月と続いていくとなった場合、この額の補償は、果たして現実的だろうか。
当然、そうとは言えない。
しかし、経済活動を1カ月でも停止すれば、これくらいの規模の損失が生まれ、多数の失業者、生活困窮者を生むことは理の当然であった。にも関わらず、混乱必至の経済停止へ国民を導き、上記の少額の補償でお茶を濁そうとした政権の罪は重いと言わざるを得ない。
他にもやり方はあったはずだ。例えば、この期間だけ特別に最低賃金の減額を許可するのも方法の一つだった。
現在、安倍政権の主導により最低賃金が東京では時間当たり千円を超えている。経済が回復基調にある中であれば、景気浮揚策としての効果もあるかもしれない。しかしひとたび有事となれば、賃金が高くなり過ぎたことで給与を支払うことができず、やむなく従業員を解雇する、という事業者が増える要因となるだろう。
そこで、例えば事業者の売り上げの減少率に応じて、最低賃金の額を減少させるよう時限的に法を緩和する方法がなかっただろうか。そうなれば事業者も、収入の減少に応じてある程度固定費を調整することができる。もちろん従業員にとっては生活が苦しくなるが、少なくとも、無収入になる人を減らすことはできるだろう。後は政府からの補てんによって、乗り越える術もあろう。
 このようなことが考えられないのも、すなわち現政権が「既存の枠組み、考え方、ルール」にがんじがらめになってしまっている結果の一つだろう。
結局、政府肝煎りの「アベノマスク」や「特別定額給付金」が国民の手元に届くより早く、このウイルスは国内では終息に向かいそうな風向きだ。だとすれば、私たちが苦難を強いられたこの数週間の息苦しさは、いったい何のためだったのだろうか。何もせず、個々人が感染に注意しながら普通の生活を送っていても、結局同じことだったのではなかっただろうか。
自分の感受性くらい、自分で守れ、ばかものよ。
茨木のり子の言葉だ。
国民を迷走させるだけ迷走させた現政権の中に、数人でもこの言葉が胸に突き刺さる人がいてくれれば、せめてもの救いである。

1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する