愛ミクの皆様、ご機嫌いかがでじょうか。
自粛は、俺にとっては好都合。
元々、今の時点での主夫業以外は、そんなに外にでないので、
感染するとしたら、家族からですね。
もう他人事では済まされない状況。
早く終息を迎えて欲しいです。
さて。
アイドルシリーズも、終盤ですね。
いつのまにかミステリーにすり替わっていると言う、変則的な日記ですが、
またもや変則的に変わるかもしれないので、
暖かく見守ってやってください。
さてと。
そんな、生みの苦しみを痛いほど味わうサスペンス系は、
たまには放置して、ノープランな日記を書いてみようかと考えました。どうぞ。。
。。。。。
私は大学を卒業してから20年間、自分の使命さえも分からぬまま、実家に引きこもって生活をしていました。
さまざまな経験を積み、恥のかき捨てでもある20代。私はずっと本を読んでいました。
母が自己啓発や、社会関係の本を定期的に買ってきてくれていたので、そちらの知識は豊富になっていました。
父はずっと仕事で、私の相手どころではありませんでした。私を養ってくれている父も母も、
私とどう接していいのか分からないようでした。
時が経つに連れ、社会で言う、中堅どころの年齢になった時は、正直焦りました。
自分より下の世代の人たちが活躍するようになったからです。わたしにはもちろん、上司も部下もいませんので、
またもや母が社会関係の本を買って読まされました。
毎日毎日部屋の中で泣いていました。
私は何のために生きているんだろう。
友達もいとこも、結婚して子供まで産まれて育児をする年齢まで達しました。
私は、部屋にいるだけで、たまに本を読み、
人生の意味を考え、また泣き崩れるのでした。
父も母も、私の事はあまり周囲に知られたくなかったようで、社会とのつながりは絶ってしまいました。
重度の引きこもりになってしまいました。
父も母も、もうすぐ定年退職する時期が近づいて来ました。
私の事を知っている人は、甘いだの未熟だの、
社会不適合者などと呼び、敬遠しました。
そのうち私は、親戚の冠婚葬祭まで行かなくなり、本格的な引きこもりになってしまいました。
無気力で、1日中寝てる時もあれば、
何日もシャワーを浴びない時もあり、
食事とトイレだけはリビングを行き来する、
ただの廃人となっていました。
何で私はこうなったんだろう。
何が足りなかったんだろう。
仮に病気だったとしても、病名が分からないので、通院のしようもなく、社会の福祉的なサポートの知識も全くなかったので、
死ぬまでこのままなのかなって考えました。
だったら、両親より先に死のう。
私はお荷物なんだ。両親の稼いだお金を吸い取る悪魔なんだ。
当時の私は本当にそう思っていたのです。
大学を卒業して約20年間、私は実家に引きこもっていました。
八方塞がりとはまさにこの事。
社会との繋がり方が、全く分からないのです。
美容院にも行かず、自分で髪を切っていました。いつも同じ部屋で同じ景色。
唯一、母からのチャンスとして、スマホを持たせてくれるようになりました。
私は、ネットやユーチューブという世界を初めて知り、この中に自分を変えるチャンスがあるのではと、必死に探し続けました。
ユーチューブには、
引きこもりの方がたくさん投稿していました。
社会福祉、自立支援など、人生のやり直しのお手伝いをしてくださる方々もたくさんいました。
私が大学生だった頃には無かったユーチューブ。スマホで簡単に繋がるインターネット。
この2つは、私が新しい生き方を始めるための知識がギッシリ詰まっていました。
私はワラにもすがる思いで、
インターネットで、引きこもり関係のものを調べまくりました。
すると、たくさん、自立支援のサポートなどがみつかりました。
私は20年間家から出ていません。
敬語だけでも身につけようと、母が買ってきてくれ敬語の本で、それなりに身に付けました。
母が買ってきてくれた本の中に、
発達障害や統合失調症の本も混ざっていました。
私はどうやら、発達障害のようでした。
これをきっかけに、クリニックを見つけ、
電話で相談して、家から約20年ぶりにでて、
通院しました。
物凄い恐怖に襲われました。
20年ぶりの外。近所のあらゆる建物や家が別物になっていました。
コンビニも参加していました。
外に出るだけでも勇気がいったのに、
さらには通院することになりました。
私の場合は、外に出るのが習慣になるまでも課題になり、通院も大冒険で、
先生と話すのもリハビリでした。
20年間、両親以外と話してなかったので。
発達障害は治らないものだと知り、
この年齢でも人生はやり直せる事を知り、
本当に母には感謝しています。
しかし、ブランクが長すぎるため、
すぐに働く事は出来ませんでした。
そのための訓練もあったので、精神が落ち着いたら受けようかと思いました。
皆様。
人間は、何歳からでもやり直せます。
国のサポートを知り、自治体に相談をする事により、新しい人生が待っています。
時には知らない事があって恥をかいたり、落ち込むでじょう。
そんな時は、福祉サポートセンターに電話で相談したり出来ますので、活用してみてください。
自殺直前まで追い込まれた私が、
新しい人生を歩めるようになったのだから、
該当する皆様も、マイペースにコツコツ、
少しずつでも進めればと思います。
社会には、良い人も、悪い人もいますが、
誰と繋がるかは自分で選べます。
周りに過去の引きこもり期間をネタに馬鹿にされることもあるかもしれませんが、
自分とは縁がない人間だと思ってください。
アンチ=自分を否定してくる人は、いますが、
その逆もまたいます。
世界中の人全てに好かれる事など不可能です。
自分で付き合う人は決めていいんです。
同じような境遇の方も、沢山います。
人間はいつでも1人ではありませんよ。
上手く人付き合いに慣れてください。
必ず運命の人はいます。
20年間引きこもった私でも変われたのです。
今では浦島太郎状態を楽しんでいます。
街がガラリと変わりましたからね。
だから、自殺を考えるのはまだ早いです。
私も死のうとした1人ですが、何がきっかけで変われるかは分かりません。
当面は、死なない事を目標にしてはいかがでしょうか。
必ず光が刺す日が来ます。
あきらめないでください。
ご縁があったら、私とお話ししましょう。
皆様の明るい未来を感じています。
それでは、ここで終了いたします。
ありがとうございました。
皆様、最幸の日々を
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