『Fukushima50』 2020年31作目 ☆☆☆☆☆ ユナイテッドシネマ大河原
https://www.fukushima50.jp/
東日本大震災の時に起こった、東京電力第一原子力発電所事故で、最後の最後まで逃げずに現場に留まった原発の職員を描いた映画。
被災地の端っこに住んでいる者として、涙が止まらなかった…
あの時の絶望的な状況で、逃げずに現場に踏みとどまった作業員達が居たからこそ状態が何とか収まり、今の日本があるのかと思うと、涙しか出ません。
色々と云われていますが、そもそもタイトルの「Fkushima50」と云う言葉自体、本来は存在してはならないものです。
朝日新聞は震災の時も、原発事故の時もいつも通り、普段と変わらずフェイクニュースだけをひたすら垂れ流し、「東電本店は撤退を検討している」「原発の現場では職員が退去した」とフェイクニュースを垂れ流しにしましたが、いつものとおり全部フェイクニュースです。
「Fikushima50」とは、海外メディアが原発に残り事態の対応にあたった職員達を「福島原発で対応にあたる50人の職員達」として「Fukushima50」と呼んだので、日本のマスコミ、マスメディアが「正しく自体を伝えていれば」存在しない言葉だし、存在している事自体が「日本のメディアは何一つ正しく事態を伝えていない証拠」です。
マスコミ、マスメディアがフェイクニュースしか垂れ流していないのは昔からの事実ですけどね。
実話ベースなので、誇張も多々あったかとは思いますが、全編にわたり非常にリアルでした。
「所轄官庁なのに全く原発を理解していない能無し経済産業省」
「怒鳴るだけの無能極み東電本店」
専門家は「現場の職員」だけ。
本来指揮を執るべき役所も本店も無能の極みでどうにもならない。
現場が懸命に動いても、上が無能の極みで何もかもを無駄にするは、邪魔はするはで、居るだけ邪魔。
そんあ中、只ひたすら懸命に事態に対処した現場の職員には感謝しかありません。
現場では、居るべきか、何が出来るんだと討論したり、決死隊を募ったり、と命がけで懸命に事態に対処しているのに、東電も経産省も無能の極み。
あれじゃ当時の総理大臣も怒鳴るしかないね。本当に心から同情します。
本来なら責任ある立場の経産省は「無能の極み」。
当事者の東電本店も同じ「無能の極み」。
あれじゃ誰が総理大臣でも怒鳴るしかないし、「私が自分の目で直接確認する」と現場に乗り込むよ。
本来なら所轄官庁の経産省と、当事者の東電本店が「総理が納得出来る」十分な説明をしなきゃいけないのに。
「やるべきことをやった」のは現場だけ。
総理大臣お疲れ様です。あんなに「無能の極み」だらけじゃ何も出来ませんね。
対して現場では、「ここに居て何が出来るんだ?」との悩みもあったし、「俺たちがやらなきゃ誰がやるんだ」と、逃げる事なく最後の最後まで踏みとどまった。
おかげで今の日本がある。
感謝しかありません。
「危機的状況」をとっくに通り過ぎて、「絶望的な状況」の中、よく逃げずに踏みとどまってくれました。
やっぱり「日頃の行い」なんですね。
免振対応棟があったから現地対策本部が設置出来たし、防護服その他その他諸々の装備があったから対応が出来た。
作中でも「仮設トイレ」を片付けるシーンがあったけど、震災の時はトイレに困った。「仮設トイレ」を準備してたのはちゃんと分かってたんだね。
皆でおやつを食べるシーンもあるんだけど、ああ云う時のおやつってホント大事。
震災の時も殺伐とした中で仕事してたけど、おやつで和んだ。
あと、やっぱり「頼りになるのは自衛隊」。
映画の中では注水と空中放水をしてたけど、震災の時はホントに、ホントに自衛隊に助けてもらった。感謝しかない。
涙しか出ない。只ひたすらに感謝です。
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