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2020年04月22日22:54

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「報道」と「ジャーナリズム」の違い

■「アベノマスク」めぐる報道に違和感、いま求められる“国民のための”ジャーナリズム
(週刊女性PRIME - 04月22日 21:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=235&from=diary&id=6057277


この記事も,そこにぶら下がっているコメントも「ジャーナリズム」について,ちゃんとわかっているかどうか,かなり怪しいので,再確認したい。

「報道」は,文字通り,基本は「事実を伝え広めること」である。
しかし,広報にしても報道発表にしても記者会見にしても,発表者が必ずしも,完璧に正しいことを言っているとは限らない。伝え手の立場を危うくするような情報は,当然,出てこない。報道をする人も,何をソースにするかで,伝える内容は変わってくる。

報道された情報を受け取る者は,複数の報道を見て,その情報の背景を含め,情報把握に努め,自ら状況判断をするように心がけないと,誤情報を掴まされる可能性もあるわけだ。

一方,「ジャーナリズム」は,「言論」と言う側面を盛ったものである。ジャーナリストは,その知識や自らのスタンスに基づき,発表された情報,報道で流れてくる情報を読み解き,そこにはどんな背景があり,どのような人の事情が関わり,どんな経緯でこんな形になったのかを読み解き,批評を加え,社会に問題を投げかけたり提案をしたりするもの。

テレビで言えば,ニュース読みのアナウンサーと,ニュース解説をする解説委員の違いだと思えば,だいたい合っていると思う。

もちろん,その境界線はちょっと微妙で,新聞であれば記事を書く人のスタンスや情報収集力,利用するニュースソース,報道機関のスタンス,読者からの受けの良し悪しなど,さまざまな影響を受けながら,記事が作られてゆくので,単純に線引きできるものではないし,発表者側や発表者の支持者などからのプレッシャーもある。

その中で,どのように主張をし,伝えてゆくか,である。

読者としては,どう読むべきなのか。

最も推奨されるのは,複数の報道,ジャーナリズムに目を通し,必要に応じてその背景を調べたり,あるいは自分がその専門分野に関わっているものであれば,自分の知識や手に入れている専門性の高い,信頼できる知見をもとに,俯瞰してゆくことだ。
その中から,自分なりの情報の読み方,捉え方をしてゆけば良い。

そのためには,まず,情報の多様性,価値の多様性を十分に知っておく必要がある。


最も推奨されないのは,特定の情報発信者や特定のジャーナリズムだけを信じて受け売りし,他の意見を徹底排除したり誹謗中傷したりする行為。
これはカルト教団の布教とまったく同じロジックである。ほぼ,情報統制や洗脳の世界と言っていい。

こうした支援者や「信者」が増えることは,一見,体制固めになるように見えるが,暴走を招く危険を飛躍的に高める。それは,ファシズムで国の体制を固めて異論を唱える者を排除,殺戮して,戦争に突き進んで行った全体主義を引き合いに出すまでもなく,明らかなことで,その支持者固めの手法は,今も昔も愚衆政策(あるいはポピュリズムと呼んでもいい)として,今の世の中にも蔓延している。
反対勢力の発言や行動をいちいち批判して全否定して掛かるタイプの発言をする人は,こうした愚衆政策の信者である可能性が高い。そのロジックはほぼカルトであり,いわゆるネトウヨやブサヨだけでなく,ニセ科学に入れ込んだ人や健康ヲタクなども含め,もはや自分の信じたもの以外は受け入れなくなってしまった人たちに共通した,病的とも言える依存性の高い心理状態である。

たとえば,学術研究の最先端では,多くの仮説が提起され,さまざまな評価,批判,改善案などが取り交わされる論議の場があり,その研究分野を前進させてゆく。これは政策論議などのポリティカルな論議の場でも同様のことが言える。具体的に言うなら,自分の支持する施政者の言い分を丸々信じて受け売りするのが「支持者」ではなく,自分の支持する者や政策理論について,より前に進めるために,批判や提言も含めて論議を進めるのが,本来の「支持者」のあるべき姿である。もちろん,支持しない勢力の意見にも耳を傾け,前に進める力になるものは拾い,問題点があればその理由や根拠を示して明確に指摘すればよい。

多様な意見に耳を傾け,多様な価値を知ることにより,心の自由度,思考の自由度が高まり,はじめて,状況が俯瞰できるようになる。しかし,そのような状態を維持するのは,今の時代,なかなか大変なことでもある。誰かの言い分を鵜呑みにして再発信するのは楽だし,自分は何も考えないで済むし,その仲間がいれば楽しいし,それでいて,なんとなく主義主張が通っているような,偉くなったような気分になれる。

熱狂的な支持者は,本当は,支持される側にとっては,自分の助けになる支持者ではない。言うなれば,エコーチェンバーの住人であり,ただの愚衆なのである。愚衆集めに奔走し,愚衆の数で勝負するような政治は,決して良い状況とは言えない。
こうして集めた支持者は,支持者のような顔をした,崩壊の旗手なのだ,とも言える。


ちなみに,マスクはコロナ対策の最重要手段ではない。
むしろ補助手段的なものであり,目的によって製品を使い分け,正しく使用しなければ,その手段すら果たせない。

そんなマスクを巡って,これがコロナ対策n必要不可欠なものであるかの如き泥仕合の論戦を展開しているのを,馬鹿馬鹿しいと思わないのだろうか。
このマスク論議は,感染症対策の本質を完全に見失っている。

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