mixiユーザー(id:12410478)

2020年04月20日12:04

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奴隷にやる気を出させるための方策が、「自己肯定感」。実存主義的反自己意識論。

私は、最低といい線をバウンドしている振り幅が広い人間ですから、この話題には発言する資格があるでしょう。民主主義ですから、どんな人でも発言する資格がありますが、英語がまるでできない人が「英語を短期間でマスターする法」などを語ってしまう。世間ではこういうことが多いからです。

対象に向かいます。そうすると、絶対突破できないところに突き当たります。
そこで起きてくる自己否定感とは、自分と他者との比較でしょう。「今まで勉強しなかったからダメなんだよなあ」などの類です。その比較がないと、「こんなのは、できる方がおかしい」という感覚に突き当たります。その不条理を不条理のまま受け入れることが大切です。

ここで、先の「今まで勉強しなかったからダメなんだよなあ」を検討しましょう。
これほど、傲慢な言い分もありません。
「おれも勉強すればできる」「できるあいつと同じはずだ」…ということではないでしょうか。

むしろ、最大の問題は、今まで勉強しなかった理由です。勉強するのがバカバカしいという判断を下したわけで、これがキルケゴールではないですが、「私にとっての真実」です。実はこの判断こそ、世間の判断とは別として、私的に常に正しいものです。
なぜ、バカバカしかったのか。もしかしたら、使用する見込みが将来全くない化学で赤点を取らないように卒なく勉強する。これほどのバカバカしいことはないかもしれません。
こうした批評的な判断を元に、すべてをリスタートさせるべきです。そうすれば、やりがいがあることは見つかる確率が、グンと跳ね上がるでしょう。
断っておきますが、自己否定というネガティブな状況を避けるためではなく、自己否定とは、他人の価値観で自分を判断すること。そもそもが無理筋です。

では、自己肯定はどうかというと…

ある成果を上げました(五回の全国規模学会誌査読突破の中で世間的には最高のもの)。
では、自己肯定感が出たかというと、違います。もともと、肯定も否定もありませんから、「たったこれっぽっちかよ…」という寂しさです。成果が大きければ大きいほどそうなります。自分ではなく、あくまでも「自分の成果」だから。他人でも発見できるものだからです。

学生時代、工事現場のごみの片づけをして、泥まみれになって働いたことがあります。泥や汗の汚れはありましたし、髪もぼさぼさです。見たところ最底辺ですが、身なりのよい、いいところの奥さん風の人に「お世話になっています」と優しくされたこともあります。「世の中、捨てたものではないな…」と豊かな気分になりました。「捨てたものではない」とは、自分のことではなく、世の中のことです。
この体験の反対の事象が、上の「たったこれぽっちかよ」という体験でしょうか。うまく言えませんが。

まあ、ここで言っている肯定否定は、他者との比較です。
他者が述べる真実も自分にとって虚偽となることがあります。

他者との関係の中で何かをつかもうとすると、自分の人生をなくすことになると思いますが…


■自己肯定感が低い人がやるべき、自分の中の「ある」探し
(Business Journal - 04月19日 15:02)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=175&from=diary&id=6052935
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