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2020年04月07日18:26

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今朝の出来事


本日、朝6時に仕事が終わり、売り上げの不甲斐なさから安倍政権の愚痴になりそうな雲行きを抑えて、着替えようとロッカールームに向けて歩いていたところ、「暗闇で出合わせたらお化けだぁ〜」って思われるよ・う・な面妖な人物に話しかけられた。

その人、労働組合の幹部です。(笑っ)十人中九人が「面妖な」と感じてしまうほど、視線がどこを見ているのかわからない人物。でも話は分かり易い。論点が飛んで跳んで富んでいるので、面白いけれど、ついていくのには覚悟がいる。

立ち話のつもりが、づーっと続く。あ、そうだやっぱり覚悟が必要。行間に「まあ座れよ」が見え隠れしたけれど、気にせず立ち話。こんな人に大切な気遣いは「話の腰を折らずに話題変えること」相槌を打っているだけでは、お得意話の泥沼に引き込まれて戻れなくなる。既に引き込まれているのですが、命綱の確認の為に、切込みを入れる。


東京大空襲の際、なぜ、皇居が標的にならなかったのか?の議論の際、「ご存知ですか?昭和天皇ヒロヒトは英国陸軍元帥だったんですよ」と切り込むと、「そんな事いうなら、ヒットラーはドイツ陸軍伍長のままだぞ。肩書は意味ない」と返す刀で切り捨てご免されて、話題が別方向へ向かっていく。


そんな与太話の中で、僕が心に染みた話が、阿Q正伝を書いた魯迅の話。中国人はお金持ちはアメリカへ留学し、貧乏人は日本へ留学した。「魯迅は留学中、空腹感を紛らわす為に一味辛子をお湯で解き、それを飲んで空腹感を誤魔化していた」と言う一節だ。


コロナ不況で給与が激減し、外食を控え食費を浮かす事が頭から離れない僕にとって、昔の人達の生活を思い起こされる口伝のたぶん真実に未だ未だ工夫はたくさんあるとムチを打たれた気分になりました。



阿Q正伝
https://bit.ly/2xRCfoD

魯迅
https://bit.ly/3bW5Trq

以下は、面妖の労組幹部も説明していた。
当時、医学校では講義用の幻灯機で日露戦争(1904年から1905年)に関する時事的幻灯画を見せていた[7]。このとき、母国の人々の屈辱的な姿を映し出したニュースの幻灯写真を見て、小説家を最終的な自分の職業として選択した[8]。その幻灯写真には中国人がロシアのスパイとしてまさに打ち首にされようとしている映像が映し出されていた[8]。そして屈辱を全く感じることなく、好奇心に満ちた表情でその出来事をただ眺めているだけの一団の中国人の姿があった[8]。のちに、はじめての小説集である『吶喊』(1923年)の「自序」にこの事件について以下のように書いた[8]。

魯迅は、軍人や政治家よりも小説家になって、より多くの人々の心を動かす事を決意したと聞きました。


以上
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