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2020年03月19日11:23

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『ネトウヨ』の定義(前編)



【『ネトウヨ』は差別?】

私はネット上で発言する時に極力、罵倒語は使わない様にしているし、基本的にきちんと根拠を書く様にしています。
ツッコみどころがあまりない様に気をつけているので、ネトウヨさんからコメントをいただくことは滅多にありません。
それでも絡んでくるのは大抵、論理的なツッコみもできない癖に平気で罵倒してくる様なレベルの低い人達です。

…が、彼らがほぼ唯一ツッコんでくるのが『ネトウヨ』という言葉です。
「『ネトウヨ』という言葉は差別! レッテル貼り! ヘイトスピーチ!」
ということらしいのですが…

そもそも『ネトウヨ』って差別用語なん…?
語源は「ネット+右翼」で、「ネット」も「右翼」も差別的ではありませんが。




【「ブサヨ」「パヨク」はええんかい】

むしろ『ネトウヨ』の対義語としてネトウヨの皆さんが連呼する「ブサヨ」「パヨク」の方が気まずくないですか?
「ブサヨ」は「ブサイク+左翼」で、「ブサイク」の部分は明らかに根拠のない罵倒ですが?

「パヨク」の元ネタは「ぱよぱよち〜ん」とか言ってた特定の個人です。
でもその人の行為と左翼イデオロギーとは何の関係もないですよね?
そんなん持ち出して左翼を侮辱されても
「は? ぱよちんと私に何の関係が?」
としか思えません。
的外れでも何でも相手を貶めるために持ち出せる材料は全て持ち出す、というネトウヨさんの傾向がよく表れた話ですね。
サンプル数1でそれを左翼の属性みたいに言っちゃうのって何よ?




【「ブサヨ」「パヨク」は本当に『ネトウヨ』の対義語なのか?】

あと、「ブサヨ」「パヨク」は実は『ネトウヨ』の対義語とは言えないフシがあります。
政治的トンデモさんである『ネトウヨ』と普通に取り得る価値観のひとつである『保守』は基本的には区別されていますが、「ブサヨ」「パヨク」はリベラル全体を指すことが多いですよね。

例えば『ニコニコ大百科』の「パヨク」の項では最初に
『パヨクとは、左翼に対する最大級の褒め(と思いこんでいる)言葉である。』
とあります。
つまり「パヨク=左翼」な訳です。
そして「左翼」の項は冷静で客観的な記述を放棄し、左翼全体をめちゃめちゃディスってます。
一方で、「右翼」の項は特にそういう感じでもなく。

ネット全体では両者を区別してる人もいますが、ごく少数で殆ど見かけません。
だから「パヨク批判」とかされてもそれは大抵、放射脳とかアベノセイダーズとかの「リベラルの中の不適切なクラスタ」を適切に批判したものではなく、「リベラル全体」への不当な非難なんで反応に困るんですよね〜…。


ちなみに左翼が「『パヨク』や『ブサヨ』という表現は差別だ」などと騒ぐのを見たことってほぼないなぁ…。
そもそも「俺達を悪く言うな」という内集団贔屓は右翼的言説、「あの人たちを悪く言うな」という外集団擁護は左翼的言説なんよね…
だから左翼は自身への侮蔑には比較的寛容で、他者が言われることを問題視しやすいと思います。
同じ日本人が他国に迷惑をかけていたらそら批判するでしょ…。
一方でネトウヨさんは他国にいる「おらが国が一番」で手前ファーストなご同類と罵り合い、自分のことは棚に上げて相手ばかりを責め立ててますよね。
ネトウヨさんはしばしば「左翼は何でも差別と言い張る」「差別差別と騒ぐ奴こそが差別者」などと主張しますが、騒いでるのはどっちですかね?
「俺のことはいい、だが人様には迷惑をかけるな。人のことをとやかく言うよりまず己を正せ」

「僕悪くないもん、向こうもやってるもん」
…伝統的な日本人の価値観や美意識とやらに適うのはどっちなんですかね?


話がそれてきたので元に戻します。
さんざん差別したりお仲間の差別を放置しておいて自分が批判されたら「ネトウヨって言われて傷ついた! 差別だ!」って…
どんだけ豆腐メンタルなんですか?
さっきまで笑いながら主人公一行を半殺しにしてたジャンプ漫画の悪役が、ちょっと反撃されたら
「何ィ…この私の顔に傷を…? 貴様ら、絶対に許さんぞ!」
とかガチギレしてくる的なわかりやすさ…
『ネトウヨ』くらいでそんなに心が傷ついたなら、もっと過激な言葉で故なく傷つけられた人々の気持ちも推し量ってみたらいいのにね。




【自業自得では?】

「ネット」「右翼」単体では問題なくても、『ネトウヨ』には差別的な意味がある?
まぁ問題のない言葉でも組み合わせ方次第で別の意味を獲得することはあるよね。

でも『ネトウヨ』にネガティブな意味があるとしても、それは無茶な差別やデマを撒き散らしてきたことへの批判なんだしそんなんそれこそ自業自得でしょ。
ネトウヨさんはしばしば「在日が差別されるには理由がある」「自業自得」と言い続けてきました。
ならネトウヨが差別されるのも「理由がある」ことになるのでは?

あ、こう書くと
「つまりお前は『在日が差別されるのは自業自得』という論理を受け入れた訳だな?」
とか言う人が出てきそうなので先に言っときますが、それは全然違います。
ヘイトスピーチとは「自分で選べない属性に基づく差別」です。
「在日が悪さをしてる」といった類の主張は大半がデマや曲解なのですが、仮に一部にそういう人がいても、それをもって「在日は差別されて当然」としてしまっては、悪さをしていない大半の善良な人々にまで濡れ衣を着せることになります。
一方で『ネトウヨ』は自分で選んでなった属性なので、批判してもヘイトスピーチにはなりません。

まぁ『ネトウヨ』という呼称に多少の揶揄は入っているかもしれませんが、差別や罵倒、暴言とまでは言えないでしょう。
どう見ても一発アウトのヘイトスピーチはともかく、揶揄くらいええやんけ。

中傷や罵倒は良くないと思いますが、相手を批判する時に嘲笑的な言葉を全く使うべきではない、とも思いません。
哲学者のダニエル・デネットは宗教批判をする際に
『礼儀正しい形で、あなたが人生を捧げているのは愚劣なものですよ、と指摘する方法などない』
と言ってます。

例えば懐疑主義者は痛いタイプのオカルティストを「トンデモさん」「ビリーバー」と呼んだりしますが、これが差別にあたる、などという話は聞いたことがありません(ちなみに私が『ネトウヨ』を「ネトウヨさん」と呼称しているのは彼らが「政治的トンデモさん」だからです)。

そもそもこの程度の、あるいはこれ以上の揶揄などネトウヨさんの得意技でしょ。
前述の「パヨク」「ブサヨ」に「マスゴミ」「アカヒ」「ウジテレビ」「ミンス」「変態新聞」…
しかしこれらは別に「自分で選べない属性による差別」ではないので、私は特に問題視していません。
『ネトウヨ』も同様です。
だってネトウヨさんって自分で選べない属性じゃなくて、自分が好きでやってるんでしょ?

それにネトウヨさん側はしばしば「言いたいことも言えない息苦しい世の中は嫌だ、言葉狩りはやめろ」と主張してますよね。
自分が言われる側になると途端にダブスタですか?




【『ネトウヨ』の定義】

こういう話をしているとしばしば
「じゃあネトウヨの定義を言ってみろ」(ジャギ風味)
からの
「ほほう、その定義だと俺はあてはまらないな。俺は差別なんてしてないし。俺は差別と在日が嫌いだ。…つまり、ネトウヨなんていないんだよ!」
ΩΩΩ<な、なんだってー!?
という謎のコンボが発生します。

…が、「定義できない」→「『ネトウヨ』なんていない」というのはいくら何でも筋悪すぎでしょ…。
あと議論の際に用語の定義を決めてお互いの認識を揃えておくのは基本中の基本で大事なことですが、鬼の首とったみたいにやたら定義定義言う人って、作文書く時に毎回
「○○とはなんだろうか。広辞苑によると—」
で書きだす中学生みたいで微笑ましいよね。

ちなみに定義の話を持ち込む人は大抵自分からは定義を言いません。
「へぇ、そんなにお詳しいなら定義を教えて下さい」
とお願いしても
「そんなの自分で調べろ」
とか
「そんなことも知らないのか、話にならないな」
とか。
ご自身がそんなに簡単に定義付けできるならもったいつけずにさっさと出せばいいのに。
結局は定義が難しいことを認めてる様なものでしょう。


そもそも「○○とは何か」という「whatの問題」には答がありません。
「人間とは何か」「人生とは何か」「愛とは何か」…
それらに万人が納得できる答えなどある筈がないでしょ。
生物学はいまだに生命の完全な定義すらできませんが、だからと言って「生命など存在しないのだ」ということにはならないですよね?
同様に、完全な「『ネトウヨ』の定義」がなくても「ネトウヨなんていない」ということにはなりません。

なので科学者は「○○とは何か」という「whatの問題」には深入りせず、「○○はどの様な仕組みか」という「howの問題」に集中します。
必要のある時はとりあえずその場での用途に役立つ簡単な定義を行います。

「ネトウヨ」の単純な定義は広義には
「ネットを中心に近年台頭してきた急進的な保守派」
であり、狭義には
「その中でしばしば『差別』や『事実に反する主張』を行う者」
となるでしょう。
ヘイトスピーチ・歴史修正主義・ネットデマ…これらこそが狭義のネトウヨさんの特徴であり問題点でもあります。
狭義のネトウヨさんとはざっくり言えば
「広義の『ネトウヨ』の中の不適切なクラスタ」
「広義の『ネトウヨ』の中のトンデモさん」
です。
この定義はとりあえずのもので、長く主張したいほどのものではないがとりあえずの目的には充分でしょう。
批判されているのは狭義の方ですね。
広義は特に問題ありません(まぁ狭義の『ネトウヨ』にあてはまらない広義の『ネトウヨ』を見かけることはほぼありませんが)。
私が特に説明なく『ネトウヨ』と呼ぶ時は狭義の方を指しています。
ついでに言えば「差別はするが事実に反することは言わない」とか「差別はしないが事実に反することを言う」という人もあまり見かけません。
事実が何かすら理解できない人は差別がダメな理由も理解できないのかもしれません。
また、証拠より願望を優先するタイプの人は倫理より欲望や衝動を優先させるのかもしれませんね。

…という訳で、単に「近年になって急激に保守化した層」でしかない「広義のネトウヨ」は何ら問題視はしません。
保守派であることは原理的には別に悪いことでも何でもなく、単に「取りう政治上の立場のひとつ」にすぎないからです。【註1】

しかし『ネトウヨ』はそうではありません。
ヘイトスピーチを行ったり事実に基づかない主張ばかりを振りかざす様な人々は許されるべきではなく、共存はできないのです。

ウヨサヨ問わず、まともな人なら
「左右はともにこの国を良くしようと願っているが、その方法について意見が一致しないだけ」
という点については合意できるし、お互いに尊重し合い、敬意を抱くこともできるでしょう。【註2】

しかしネトウヨさんはしばしば
「サヨクは反日で日本を憎み、中韓と手を組んで(あるいは指示を受けて)意図的に破壊しようとしている」
という陰謀論的で間違った世界観を抱きがちであるため、左翼に対して最低限の敬意を払うことすらまずありません。


価値観は多様であるべきですが、価値観の多様性を守るためには「排他的な価値観」だけは認めてはならないのです。【註3】




【『ネトウヨ』は必ず間違っている】


ネトウヨさんが特定の民族など集団全体を貶める言動は、例えば「富山県民は全員が犯罪者」と主張するのと同じで、「そんな訳ないやん」としか言い様がありません。
一方、「ネトウヨさんの言動は不適切」は「受刑者は全員が犯罪者」というのと同じで、そもそも定義により正しいのです。

「ネトウヨ」という言葉はおおむね批判的に用いられ、「新登場の、(ヘイトスピーチや歴史修正主義やデマ等によって特徴付けられる)批判されるべきクラスタを指す言葉」として浸透してきたのですから、それもむべなるかな。

ちなみに

「『ネトウヨ』は間違っている」
「何故なら間違っているのが『ネトウヨ』だからだ」

というのは

「聖書は神の言葉だから正しい」
「何故そうわかるかというと聖書にそう書いてあるからだ」

というのと同じく、根拠が同じところをぐるぐる回る循環論法なので、「あまり意味はない」とも言えます。

『ネトウヨ』=「間違ってる人」と定義したのならば、「『ネトウヨ』は間違っている」は「間違ってる人は間違ってる」と言ってるだけだからです。
「間違ってる人は間違ってる」は「力こそパワー!」等と同じくトートロジー(同義反復)に過ぎません。

しかしトートロジーは別名「恒真命題」とも呼ばれ、常に正しいのが特徴。
正しすぎて「うまいもんはうまい」とか「ダメなもんはダメ」とか、強調のレトリックにすらなります。

例えば

「右は左の反対側」
「左は右の反対側」

というのは完全に循環論法ですが、完全に正しくもあります。
こういう場合、外部的にどっちが右でどっちが左なのかが示されれば問題ありません。【註】
一方、聖書の正しさはそこが全く担保されてないのでダメのダメダメです。
ネトウヨさんの場合は「ヘイトスピーチや事実に反する主張」が間違っていることは確実なので、それらを行う人を『ネトウヨ』と呼ぶ限りは「『ネトウヨ』は常に間違っている」という言葉は常に正しいと言えます。
ヤベー奴を抽出したんだからヤベーの当たり前でしょ。

ちなみにネトウヨさんは「在日は悪事ばかりしている」等と主張しがちですが、これらの多くは決めつけばかりでデータの裏付けがありません。
たまにデータ付きで主張する場合も、大抵はそのデータ自体がデマの産物です。
さらにマズいのは、データがデマだと論破されると「本当のデータは隠されてるのだ」等と、結論を変えずに陰謀論に訴える点です。

陰謀論には証拠がありません。
それどころかしばしば「証拠がないのが陰謀の証拠」とされたりします。
証拠ないなら結論を変えろよ…


なお、
「それは『ネトウヨ』を批判するために都合よく考え出した操作的な定義だ」
という反論があるかもしれませんが、そうではありません。


例えば保守派論客、古谷経衡の著作『ネット右翼の終わり—ヘイトスピーチはなぜ無くならないのか』では要約すると

・ネットで誕生した前期ネット右翼が保守論壇という文明の力により近代化を遂げたのが「後期ネット右翼」。
 ・近代化しきれずに特定の(時に差別的な)言動を行っている人々が「狭義のネット右翼」。
 「ネトウヨ」などと批判的な意味で使われているのはこっち。
・狭義のネット右翼は「真偽不明な情報を鵜呑みにする人」。

…としており、私が使っているとりあえずの定義とあまり差はありません。


現在、保守の中には「まともな保守」と「トンデモな保守」が混在していますが、私は両者を混同したまま批判する気はありません。
それではネトウヨさんと同じだし。
そこで両者を区別する用語が必要です。
「まともな保守」を故なき批判からきちんと守るために、「トンデモな保守」だけを分離する言葉が。

現在、その役割を果たしているのは間違いなく『ネット右翼』『ネトウヨ』という言葉です。
しかもそこにネガティブなイメージが付いたのは前述の通りの自業自得。

そもそも『ネトウヨ』がネガティブに語り続けられてきたのは、彼らが不適切だったからです。
ネットでただ保守派が増えただけで従来のまともな保守と大差ないなら、そこにわざわざ名前が付いたりしなかったでしょう。
彼らは差別とトンデモという、それまでの保守にはない属性を持っていたからこそ区別され、『ネトウヨ』と呼ばれ、批判されてきたのです。
『ネトウヨ』を批判するためというよりも「まともな保守」を護るために、「間違っている人々」を指す言葉が必要なのです。

ちなみにこの定義だと「差別はするがトンデモには流されない」あるいは「差別はしないがトンデモには引っかかる」タイプの『ネトウヨ』も入る筈ですが、そういう人はほぼ見ません。
差別とトンデモは『ネトウヨ』という車の両輪です。
彼らは大抵の場合、
「ニセ情報によって偏見を持ち、偏見によってニセ情報を鵜呑みにする」
のです。
多くの場合、差別とデマは共犯関係にあります


【では何と呼べば?】

『ネトウヨ』という言葉はネトウヨさん自身が自称してる場合もしばしば…
『根戸ウヨ子』というHNの有名な方もいますし、桜井誠の著作には『ネトウヨ アメリカへ行く: 日本のネトウヨが史上初めて米国政治家たちとの本音バトル!』というタイトルのものがあるじゃないですか。

今のところ、他に呼びようがないですよね…。
ニコニコ大百科の『ネット右翼の定義』にはこうあります。

『「ネット右翼」もしくは「ネトウヨ」は単なる思想のカテゴライズと言うわけでなく蔑称と言う色合いが非常に強い(特に「ネトウヨ」)
そのためそう呼ばれること自体が嫌な人もいるし、そう呼ぶことが都合の良い人も存在する。
この記事が荒れているのもこの理由のせいであるが、蔑称だからと言って無駄だと切り捨てるにはあまりにも言葉が広まってしまっている。』

『ネトウヨ』が嫌なら何と呼べば良いのか代案を出せばどうですか?
普段『代案を出せ』がお得意なんだし。




【レッテル貼り?】

『ネトウヨ』という言葉自体がレッテル貼りだ、という主張もよく目にしますね。
え、「不適切なレッテル貼りに使われることがある」と「呼称自体が不適切」の区別がつかない?
集団と個人、全般的傾向と個別の事例を区別できないことが多いネトウヨさんらしいお話ですな。

そもそも批判的な言葉はいかなるものでも全てレッテル貼りに利用可能な訳で、「本来の使用法を超えたレッテル張りに利用されることがある」というのはその用語の問題ではなく「レッテル貼り」自体の問題でしょう。
それはそれで大事な話ですが、この問題には関係ありません。
ここでそれを持ち出すのは論点のすり替えです。

あと
「『ネトウヨ』という言葉は民団の作ったレッテルだ」
という主張も見かけますが、完全なデマです。
この言葉がネット上で自然発生して広まる様子は様々な書物で分析されており、この陰謀論の入る隙間はどこにもありません。





長くなりすぎたので2回に分けます。


続き:【『ネトウヨ』の定義(後編)】
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1975032459&owner_id=2473503





【註1:左右はお互いに尊重し合い、敬意を抱くこともできる】

もっとも、お互いに完璧ではない人間同士なので、残念ながら過度に敵対しがちでもありますが…。
特に保守派はその根底に排外主義との親和性があり、リベラルの様に寛容で宥和的にはなれないことが多いよね。



【註2:価値観の多様性を守るためには「排他的な価値観」だけは認めてはならない】

これは哲学者カール・ポパーが主張したところでもあります。
ポパーは科学に「反証可能性のないものなんざ科学じゃねぇよ」という考え方を持ち込んだ功績者でもありますが、ネトウヨさんの陰謀論的主張は大抵 反証可能性がなく、議論の俎上に載せちゃダメ。
最近、「『排他的な価値観』も価値観のひとつとして認ないとおかしい、排他主義を認めないのは排他的だ」と言い立てるのが流行りですが…
そもそも排他主義を振りかざす者が価値観の多様性に訴えることもまた矛盾してるよね。
過度にペダンティックにならなければ、「スピード違反を取り締まるパトカーが制限速度を守っていないこと」や「『張り紙禁止』の張り紙」が問題視されることは通常ないでしょ…
あとこの辺とかを参考に。
【相対主義に関するよくある質問】
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/FN/relativism.html



【註3:循環論法でも外部的に根拠が示されれば問題ない】

ダーウィンの進化論も「最適者が生存する」「生存したのが最適者」というのは循環論法ではないか、とお叱りを受けることがあります。
また、カール・ポパー(またしても)からは「反証可能性ないしこんなん科学ちゃうやん」等とツッコまれたりもしています。
でも「再現実験できないからダメ」なら歴史を扱う学問は全部アウトになるでしょ…。
進化論は「もし正しければこの世界はこうである筈だし、もし正しくなければこうである筈だ」といった「予測」をすることが可能だし、「適応が見られているのに生存しない」といった反証例もありえるよね…
そんなこんなでこの件はポパーも取り下げています。

あとよく創造論者が
「このアンモナイト化石が出土したのは白亜紀の地層だから、このアンモナイトは白亜紀に生息していた」
というのを利用して
「このアンモナイトが出土したから、この地層は白亜紀のものだ」
と推測するのは循環論法だと文句を言ってくるのですが…
同じ地層で「白亜紀の地層からアンモ出た」「アンモ出たし白亜紀」とかやってたら循環論法でしょうが、地層Aのアンモナイトを示準化石にして地層Bの年代を推定するのは循環論法ではなく「外挿法」という普通の推論だよね…。
そもそも「アンモが出土したのは白亜紀の地層」ということは、この地層はアンモ発見以前から別の手法で白亜紀と同定されてた訳で。

という訳でどちらも一見循環論法でも外部的にちゃんと根拠があるのです。

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