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2020年03月16日13:35

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ベーメとシェリング―薗田担著『無底と意志―形而上学 ヤーコブ・ベーメ研究』より

薗田担著『無底と意志―形而上学 ヤーコブ・ベーメ研究』(創文社)第七論文「ベーメとシェリング―神・自然・無底をめぐって―」を読む。

薗田担氏は、「ベーメとシェリング―神・自然・無底をめぐって―」という論文を次のような問題提議をしている。

「ではシェリングはベーメのいかなる思想に共感を覚え、いかなる点に重要性を見出したのであろうか。逆に言えば、シェリングがそれを自らの内に受容し、そこから示唆を得たベーメの思想はいかなるものであったのか。以下ここでは、シェリングにおけるそのようなベーメの受容ないし影響ということを想定しながら、いわばそのもとにあると思われるベーメの思想や概念を、ベーメ自身の思想的脈絡のなかで取り上げ、少し考察してみたいと思う。言うならば、シェリングから見たベーメではなくて、シェリングにおける受容を念頭においてベーメ自身の思想を見てみるということである。そのことは、シェリング自身のベーメ受容にさいしての思想的総意と思索の独自性を見るための準備的考察の意味をもち得るかもしれない。」

�爐海海任蓮▲轡Д螢鵐阿砲�けるそのようなベーメの受容ないし影響ということを想定しながら、いわばそのもとにあると思われるベーメの思想や概念を、ベーメ自身の思想的脈絡のなかで取り上げ、少し考察してみたいと思う。��

シェリングの哲学的思索にベーメの思想が影響しているということを想定したうえで、シェリングに影響を与えたベーメの思想や概念を〈ベーメ自身の思想的脈絡のなかで〉検証していこうとするのである。つまりこのことは、ベーメの思想の立場に立って、シェリングの思想を検討しようということである。

「シェリングにとって、ここでベーメやブルーノのことが念頭にあるのは言うまでもない。彼らにとって、自然の生きた根底の探求は、同時に神の問題であり、そこから神と自然とのもっとも明確な区別が招来されることになる。これに温に、シェリングもまた先の区別(「現存する限りのもの」と「ただ現存の根底である限りのもの」との区別)を、神においても見る。つまり神においても、「現存する限りの神」と「神の現存の根底」とが区別されるわけである。しかし神の場合、神に先立ってあるいは神以外には何ものもないゆえに、神はその現存の根底を自己自身のうちにもたねばならない。それゆえこの神の現存の根底は、ある実在的なものとして神が自己のうちに有するものであるが、しかしそれは、絶対的に見られた神、すなわち現存する限りの神ではない。なぜなら、それはまさしく神の根底であるにすぎないからである。このような、神から切り離し得ないものでありながら、しかもなお区別されるもの、これをシェリングは「神のうちの自然」(Natur in Gott)と呼ぶのである。そしてこのような発想とその用語は、実はそのままベーメに淵源するものとみられる。」

シェリングは、一切の事物を「現存する限りのもの」と「ただ現存の根底である限りのもの」とに区別するとともに、その区別を神においても、「現存する限りの神」と「神の現存の根底」とに区別する。そうして「神の現存の根底」をシェリングは「神のうちの自然」(Natur in Gott)と呼ぶのである。ここでいう「自然」(Natur)とは、どちらかというと、山や川といった外界のと全を意味するのではなく、�猖楡�、本質�瓩箸い辰唇嫐�に近い「自然」なのであろう。あるいは親鸞の�犲�然法爾�瓩劉犲�然�瓩剖瓩ぐ嫐�をもつのかもしれない。(シェリングの�狄世里Δ舛亮�然�瓩反二造劉犲�然法爾�瓩箸糧羈啗Φ罎鬚泙森圓い燭ぁ�)シェリングも「無底」という概念を用いているが、その「無底」はシェリングにおいて「悪の問題」とも深く関わっている。そのことはまた別の機会に論じてみたいが、このシェリングの現存する限りの神」と「神の現存の根底」との区別は、ベーメにおける神の無底的意志に淵源していると、次のように園田担氏は論じている。

「ベーメ思想の最も根本的な特徴の一つは、一切の対立・葛藤を含んだ万物がその根源にまで遡って探られ、その根源からの生成・発現として捉えられるとき、その根源たる神自身が根本的に意志的性格のものとして考えられている点である。そしてかかる神自身の根底ないし根源は、彼においてもドイツ神秘主義の伝統に従って、一切の根底なるがゆえにそれ自身において無であり、もはやいかなる根底もなきものという意味において「無底」(Ungrund)と名づけられるが、神は意志的なものであるがゆえに、この無底からの発現として、それ自体が無底的な意志として見られることになる。」

わたしは、シェリングの「無底」という概念の基因を尋ねて、ヤーコブ・ベーメの思想にたどり着いた。そこでベーメの「意志―形而上学」ということ、�猴瀑悪瓩鉢牋媚岫瓩箸隆愀犬覆匹亡愎瓦鮖�つことができた。そうして�爛轡Д螢鵐阿反二足瓩箸いμ簑螳媼韻鮖�つに至ったのである。少し遠回りをしたようだがあたらな問題意識を獲ることはできたように思えるのである。
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