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2020年03月08日16:13

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「れいわ新選組」<『夜を賭けて』<小松左京『日本アパッチ族』<開高健の『日本三文オペラ』<松岡正剛>小松一人がトランプの登場を予告できていたのである。<とは思わんかったなぁ。ぎゃおおお

小松左京

日本アパッチ族




角川春樹事務所 2012/光文社文庫 1999/角川文庫 1971/光文社カッパ・ノベルス 1964




装幀:芦澤泰偉・五十嵐徹 装画:田中達之


 廃棄の中で鉄を盗み、鉄を食らって、保守反動国家に刃向かう。そんな連中が出没して、日本中が大騒動になった。そんなことを仕出かしたのは戦後の大阪にいっとき出現したアパッチ族だ。小松左京がその奇想天外な顛末を描いた。
 『日本アパッチ族』は昭和SF史の黎明期を飾った破天荒な傑作で、昭和39年(1964)の東京オリンピックの年にカッパ・ノベルスとして発表された。早稲田に入ってまもなくのころ、まわりの学生たちがざわついていたので、すぐ読んだ。カッパの本は活字も読みやすく、ハンディなのに盛りだくさんで、えらく興奮した。
 貧窮に喘いで屑鉄を盗む大阪のアパッチ族たちが鉄を食い、奇妙な連帯にめざめ、ついには国家に刃向かって殲滅していくという「そんな、アホな」という物語だ。なにもかもが法外で、異常なのである。のちに述べるように、ごく一部は事実にもとづいている話なのだけれど、ほぼ小松左京の想像力と妄想が生み出した展開と顛末になっている。その妄想がタダモノではない。アパッチ族が鉄人と化してしまう。「大阪はやるやんけ」と思った。たちまちオリンピック・ムードや新幹線開通など、吹っ飛んだ。



小松左京(1931-2011)
小説家。大阪の生まれ。本名、実。業界紙記者などを経て、SF作家としてデビュー。『日本沈没』が上下巻合わせて三百数十万部の大ベストセラーとなった。該博な知識と独創的なアイディアで,科学論,文明論,日本文化論など幅広いジャンルにわたって旺盛な執筆活動を続けた。



カッパ・ノベルス版の『日本アパッチ族』(光文社,1964)

 いまはシャレたOBP(大阪ビジネスパーク)という名の「緑なすビル街」になっている一画は、かつては36万坪の陸軍砲兵工廠(大阪造兵廠)というアジア最大の巨大な兵器工場だった。
 明治3年に小屋掛けで発足し、少しずつ拡張されて、昭和の戦争期になると大日本帝国軍にとって最も重要な兵器や部品を製造する兵器工場になった。敷地もどんどん広がって、大阪城と猫間川(運河)に挟まれた杉山町にあたる区域を占めた。盛時は7万人近い就労者が勤務し、日本の命運を担う軍人たちが出入りしていた。
 その大阪造兵廠が1945年8月14日、アメリカ軍B29の徹底空襲と大量の焼夷弾によって焼き尽くされた。原爆投下の直後、ポツダム宣言受諾の前日である。
 これで、あたり一面が荒涼たる広大な廃墟となった。その後、工廠跡はGHQによって賠償指定物件となって使用可能な兵器や資材は搬出され、1952年には国有管理地区となったのだが、それでも約3万台にのぼる機械や機材が荒れるままに放置された。
 この「鉄の廃墟」に目を付けたのが、猫間川対岸のバラック小屋に住みつくようになった約800人ほどの朝鮮人中心の通称「アパッチ」だ。かれらは夜陰に乗じて廃墟の中に忍び込み、鉄機器の解体を試みて鉄屑を漁り、これを次々に売り飛ばしていった。朝鮮戦争の直後とあって、1トンあたり3万円から10万円で買い取られた。杉山鉱山と呼ばれた。
 不法行為だから、当然、警察が取り締まるのだが、イタチごっこが続く。それが実際にどんな事情だったかは、開高健の『日本三文オペラ』(新潮文庫)にも詳しい。「アパッチ」は約8カ月で掃討されたのだ。しかし、小松はこの経緯にもとづきながらも、そこにとんでもない妄想を加えていったのである。

   【略】

時代は1960年代の途中、日本国憲法に対する反動がすすみ、とんでもない政策が制度化されている「別社会」になっている。そういう舞台設定にした。SF手法でいえばパラレルワールドである。この手法は1934年のマレイ・ラインスターの『時の脇道』のアイディアに端を発していた。

   【略】

最近、角川文庫が「小松左京短編集」を東浩紀や大森望にセレクションさせているが、ぜひ、読まれるといい。



小松左京ファンである東浩紀、大森望によるセレクション本
上の2冊は角川文庫(電子書籍限定)から刊行したもの。幼少期から影響を受けたという東氏がSFの代表作をピックアップし、大森望氏はおもしろい和モノとホラー系を中心に厳選した。下の2冊は河出書房から刊行したセレクションで、どちらも東氏によるもの。テーマを「日本」と「未来」に分けた。

 ところで短編の『アメリカの壁』(文春文庫)について、丸谷才一(9夜)と木村尚三郎と山崎正和が鼎談をしているものがあって、これが案外に興味深かった。
 話は、アメリカと日本をのべつ往復している男が、アメリカでの仕事をすませて帰国しようとしていたら、知日派の友人が「アメリカに定住しないか」と言う。ハハハと笑って飛行場に行くと国際線が次々にストップしている。国際電話も通じない。やがて原因がアメリカの周囲に「霧の壁」が生じたせいだとわかる。だから電波のコミュニケーションもできない。アメリカが孤立してしまったのだ。
 気象異変だと思われたのだが、そのうちこれが政治家・軍部・産業界・文化的知識人たちの陰謀だったことがわかる。アメリカが極度のモンロー主義を強行したのである。アメリカさえよければ、外の世界はどうなってもいいという政策の実現だった。そこで、この男と何人かの“外人”が超音速ジェット機を使って、不幸なる外の世界に飛び出して行く。そういう話だ。
 これを山崎は小松の日本的な抒情性によるものだと見る。ドライになりきれない。そこがいいと言う。丸谷はその抒情性が本格的じゃないからSFに逃げたと言う。だから小松作品はどれも「あらすじ」ばかりになっていると批評する。そこは中村真一郎もそうなのだが、日本の知的な作家がよくそうなる。中村の推理小説は長編の「あらすじ」で、アタマがどんどん先にいくので詳細が書けなくなっているのではないかとも指摘する。
 木村は、『アメリカの壁』はよく書けている。アメリカはアメリカで、ヨーロッパはヨーロッパで、日本は日本でやれようという気持ちがうまく出ている。そういう極端なモンロー主義からアメリカの擬似的な善良性と日本人の狼狽を描いていて、いいんじゃないかと発言する。それで山崎が、そうした見方は小松の日本的抒情力だというのだ。三人の知識人が小松左京をどう見ているのか、よく伝わってきた。小松一人がトランプの登場を予告できていたのである。



「小松左京マガジン」
小松左京が古稀を記念して2001年1月より発行していた個人雑誌。2013年小松左京の3回忌後の50巻をもって最終号となった。会員には、しりあがり寿・巽孝之・山田正紀・吾妻ひでお・新井素子・嘉門達夫・最相葉月・ちばてつや・夢枕獏などが所属していた。

 小松作品についての見方は、おそらくこれからやっと本格化するのではないかと思う。すでに巽孝之が『SFへの遺言』(光文社)や『日本SF論争史』(勁草書房)で、長山靖生が『日本SF精神史』(河出ブックス)で大きな視点を投げかけて、さまざまな見方を披露してきたが、最近では東浩紀のゲンロン・カフェなども小松再評価の狼煙を上げている。
 片山杜秀の『見果てぬ日本』(新潮社)なども出色だった。やはり小松は日本人コマツサキョウあるいは大阪人コマツサキョウとして議論したほうがいいようにも思う。
 ちなみに「酔生夢死浪人日記」というブログが、小松左京の作品の際立つ特徴を、「極大と極小のつながり」「管理と本能の衝突」「環境からの逆襲」においていたが、当たっている。「管理と本能の衝突」というテーマから新たな小松に関する議論が広がっていくようにも思える。
 小松の日常やクセや考え方については、長らく秘書やマネジャーを務めていた乙部順子の『小松左京さんと日本沈没 秘書物語』(産経新聞出版)が涙ぐましい。昭和の大きな知性がどういうものかを見たと書いている。とくに「未来をあきらめない」ということを何度も強調していた。

 小松左京、2011年7月26日、肺炎で亡くなった。80歳だ。猛然たるヘビースモーカーだった。ぼくにはそこがなによりの同志なのである。左京というペンネームは「左がかった京大生」からきているらしいが、左京というより「未京」というのがふさわしい。



タバコをふかす小松左京
表紙絵は生頼範義氏によるもの。『小松左京マガジン』第29巻



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ーー
https://1000ya.isis.ne.jp/1713.html



梁 石日(ヤン・ソクイル、ヤン・ソギル、양석일、1936年8月13日 - )は、日本の小説家。在日朝鮮人。通名:梁川正雄。


目次 [非表示]
1 略歴
2 主張
3 著書
4 共著
5 梁石日(に相当する役)を演じた俳優
6 関連項目
7 出典
8 参考文献

略歴[編集]

大阪市猪飼野で生まれる。両親は済州島から大阪市に移住してきた。戦後、一家は蒲鉾製造で成功したが、父はほどなく愛人を作り、妻子を棄てて家を出た。

大阪府立高津高等学校定時制在学中に、内灘闘争に参加。詩人の金時鐘から詩の手ほどきを受ける。朝鮮総連系の同人誌「ヂンダレ」に詩を投稿した。その後、靴屋や鉄屑屋、洋服店勤めなどの後、実父から300万円を借り印刷会社を経営するも事業に失敗し、仙台に逃げ喫茶店の雇われマスターになったが更に借金は増え、やがて上京し新宿に寮のあるタクシー運転手の職に就いた。そんな中、病床にあった実父から家業を継ぐ事を求められたが断り、実父はほどなく全財産を寄付して北朝鮮に渡り現地で病死した。

新宿のスナックで酒を飲みながらタクシー客とのやりとりを面白おかしく語っていたところ、たまたま聞いていた出版編集者に執筆を勧められて書いた『狂躁曲』(単行本出版時の題名は『タクシー狂躁曲』)でデビュー。同作は1993年に崔洋一監督により『月はどっちに出ている』として映画化され、大ヒットする。タクシードライバー時代に2度事故を起こし大怪我を負い退職。物品販売業をしながら執筆を行う。1994年大阪砲兵工廠跡を舞台に在日韓国・朝鮮人の鉄屑窃盗団アパッチ族の暗躍を描いた『夜を賭けて』が直木賞候補になる。同作は2002年劇団・新宿梁山泊の座長・金守珍により山本太郎主演で映画化されている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ーー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%81%E7%9F%B3%E6%97%A5



「れいわ新選組」山本太郎


投稿日:2019年7月6日




 「青春はイノチガケ」。02年に金沢・シネモンドで観た「夜を賭けて」の映画ポスターのコピーだが、いまの「れいわ新選組」山本太郎を彷彿とさせる。梁石日(ヤン・ソギル)の原作で、朝鮮戦争前後の大阪砲兵工廠跡地を舞台にした在日韓国人の鉄屑窃盗団アパッチ族の暗躍を描いている。川沿いに集落を構えて貧しい生活を営んでいた彼らは、ある日、対岸の広大な廃虚に「お宝」が埋まっていることを知る。明日の生活のために舟で運河を渡り、警察に追われながら真夜中に鉄を掘り起こすパワフルでユーモラスな人間ドラマ。その主人公・金義夫を演じるのは僕しかいない、と山本太郎が買って出た。製作費が底をつき、韓国でのロケは想像を絶する厳しさだったらしい。この映画が山本太郎を知った最初である。

 政治にも演出が必要だ。いわゆるサプライズだが、知的好奇心が欠かせない。井上ひさしのいう「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」だが、参院選に挑む「れいわ新選組」の演出はこれを地でいく。立ち上げと同時に、寄付と運動の協力を頼みながら、山本一座を思わせる装飾トラックで全国行脚をし、辻立ちをやり、雨が降りそうだと予約していた屋内会場に切り替える。ロケハンで培った臨機応変の現場感覚がとてもいい。寄付額は2億を超えて3億に迫り、10人の候補者を擁立した。

 反原発が入り口だったが、彼の訴える政策は現場に通じた人間にとことん聞いて、身に付けたものである。そこに深い友情が育まれる。参院選「れいわ新選組」の10人の候補者を見てほしい。国会質問に心血を注ぎ、問題の現場に入り込み、培ってきた人脈の素晴らしさを証明している。黒澤明の「七人の侍」とどこか似ていて、わくわくする。

 こんな仕掛けも潔い。新設された「特定枠」を活用し、ALS患者のふなごやすひこ(61)と重度障害のある木村英子(54)を充てた。山本自らは東京選挙区から比例区に転じ、全国的な票の掘り起こしを図るのだが、このふたりを優先し、自らは退路を断ち3人以上の当選を勝ち得ないと国会に戻れない。きょう(7月7日)の世論調査では、ひとり分の125万票に届くかどうかという。捨て身の挑戦だ。

 東京選挙区に立つ野原ヨシマサは絶妙な挑戦となっている。沖縄の創価学会壮年部長で沖縄知事選ではデニーを支持した。孤立を恐れなかった。山口公明党代表が出る同じ選挙区で、辺野古移設阻止と公明党の変節を掲げて都民の良識を問う。

 比例区で立つ6人は次の通りだ。蓮池透は反原発、拉致被害の急先鋒を担う、安富歩は女性装で、子供を守ろうと訴える。大西つねきは金融資本主義を根こそぎ変えるという。辻村ちひろは環境論を鋭い視点で切り込む、三井義文はコンビニ業界は人間破壊の構造そのもの、渡辺てるこはシングルマザーで派遣労働者の体験を引っ提げて貧困の現実を訴える。この野武士軍団をひとりでも多く国会へ、と願わずにはおれない。旋風を期待しつつ、この動画を見てほしい。時間のない人は後半の山本太郎の分だけでも。https://www.youtube.com/watch?v=Kxgoku9U_pg&feature=player_embedded_uturn
















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ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ーー
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