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2020年03月07日10:42

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【聖書の奥義を探る】

クリスチャンへの疑問質問!コミュのテーマ【聖書の奥義を探る】についてのコメントをメモ(記録)と致します。

柱書:

【聖書の奥義を探る】

いのちのパン  さん

2020年03月06日 19:52

聖書に述べられている「勝利を得る者」とはどういう意味か

主を信じるすべての人は主の心にかなう人、勝利を得る者になりたく、十四万四千人の勝利を得る男の子の一人になりたいです。勝利を得る者が言及される時、ある兄弟姉妹がこう言うかもしれません。「わたしたちが主の御名を守り、主のために労苦し働き、さまざまな迫害、患難の中で主の証しのために立つことができれば、勝利を得る者になることができ、主が戻られる時、天の国に携え上げられることもできます」と。わたしたちのこのような観点は一体正しいでしょうか。十四万四千人の男の子、すなわち勝利を得る者とは一体どういう意味でしょうか。
全編: https://www.bible-jp.org/the-winner-bible.html?source=tgz&num=5116676


コメント(7)



[7] モリオバッハ

2020年03月07日 10:38


いのちのパン 様、皆様、

おはようございます。



ご質問に対して、以下に回答しましたので、ご参考情報に供すれば幸いです。

Q1:聖書に述べられている「勝利を得る者」とはどういう意味か ?

A1:利己中(自己中)な姿(スタンス)から利他中な姿(スタンス)へ生まれ変わった者です。



参考(1):

利己中(自己中)な姿(スタンス)とは、自分勝手気まま姿で、我儘(わがまま、エゴ)状態を表現し、自己(自分)中心(主体)的な「生き方」をしている人です。

利他中な姿(スタンス)とは、いつも、相手を思いやり、共に、分かち合える姿で、自分自身が主体でなく、相手が主体であり、自分自身は従体の状態で、接し合える、「生かされ方」を重視している人です。


参考(2):

聖職者をはじめ、クリスチャンの皆様は、聖書の内容中身の絡繰りを認識されていないため、我々に、何を語り掛けているのか、聖書の追求(追究・探究)をはじめて、半世紀余り経っても、適切に教授伝授して戴けた人に、めぐり合ったことはありません。

皆様のコメントを精査すると、聖書の物語を、この世で起きた事件記録として、認識されており、聖書の言葉聖句を、他人事のように捉えており、一人ひとりのスタンス&ライフスタイルのあるべき姿として、反省(反正)・改心(回心・快心・会心・改新・戒心・改進)するべき姿が診得て参りません。

1985年時、144000人の勝利のお話は、エホバの証人(物見の塔)の信者から聞いたことを思い出しました。

144000人の中に入るために、エホバの王国(教会)に、来てくださいとの勧誘でした。

144000人の中に入れるように、或いは包含されるように、望みたいとの希望(思考・意向)は、如何なものでしょうか?

自分さえ良ければ、他人はどうでもいい!!に通じるから。

本件のテーマは、【聖書の奥義を探る】です。

奥儀を探るためには、どうしたらいいのでしょうか。

聖書(旧約聖書・新約聖書)を、初めから終わりまで、隅から隅まで、読破され、礼拝でのメッセージ(説教)による解釈法では、統一見解が確立されていないため、奥儀を探ることは出来ないことに気づいて戴きたいのです。

統一見解がなされていないために、カトリック系、プロテスタント系、その他多種多様の教会では、聖書の解釈が、まちまちで、面白過ぎて、滑稽観に診得た次第です。

聖書の内容中身を、我々一人ひとりのスタンス&ライフスタイルの見直しへ活用するためには、どうしたらいいかを考えた人がいれば幸いです。

【聖書の奥義を探る】手掛かりの出発点になり得ますから。

聖書だけに特化(専念)せずに、世界の様々な聖典・経典を精査することが必要です。

比較宗教観が芽生えるために。

宗教をひとくくりにせずに、倫理、哲学に分け、夫々、どのような関係(連係・連携)があるのかを見極めることが重要です。

聖職者をはじめ、クリスチャン、宗教に従事されている人、教授、学識経験者に至るまで、宗教観をひとくくりにしているため、誤認混同、錯綜観が甚だしいことも検証済です。

新約聖書の最後に表記されているヨハネ黙示録は、人類の最期を描いた物語ではないのです。

「ハルマゲドン」との表現は、人類の最終戦争ではなく、一人ひとりのスタンス(魂・心・気持ち)のあるべき姿に変えるための表現なのです。

利己中な姿から利他中な姿へ変心することが、真のハルマゲドン表現であり、その類似(類義)語として、復活、再臨、降臨等々の表現で、語られているのです。

宗教行為(活動)としての修行・修練・実践・研鑽等々は、あくまでも、一人ひとりの精神界(魂・心・気持ち)のあるべき姿に変心させる行為です。

これを物質界(我々が生活しているこの世)で行ってしまうと、悲劇・不幸事件になってしまうのです。

その代表例(事案)が、サリン事件であり、ジ・ハード(聖戦)事件です。

宗教は、精神界の範囲(領域)内で行うことが肝心であり、その範囲を超えてしまうと、上記代表例の如く、悲劇・不幸事件になってしまうことを肝に銘じてほしいものです。

聖書をはじめ、様々な聖典・経典に描かれた全ての神話物語は、精神界の出来事を、我々凡人にわかりやすいように、物質界の出来事として、置換されている絡繰りに、気づけない限り、【聖書の奥義を探る】にはじまらないことに、気づけたら幸いです。

このような事象を、今までに、100人余りの聖職者のプロに、「釈迦に説法」として、伝授してきた次第です。

最後に、聖書に述べられている「勝利を得る者」とはどういう意味か 、十四万四千人の男の子、すなわち勝利を得る者とは一体どういう意味でしょうか。 が、ご認識されて戴ければ、嬉しい、有難い限りです。

感謝。






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