mixiユーザー(id:1762426)

2020年01月13日09:03

107 view

キリシタン紀行 森本季子ー12

 私たち聖心侍女の巡礼団は八時にマイクロバスで宿舎を出発。目指すのは久賀島の牢屋の窄(さこ)で、この巡礼の中心とも言える場所である。久賀島は交通の便が悪く、多人数の団体では行かれない。福江から約二十分で奥浦の船着き場に到着。ここからチャーターした海上タクシーで向かいの久賀島へ渡るのである。せいぜい二十人がやっとの小型フェリーに乗り込んで湾内に滑り出した。
 奥浦湾から田の浦瀬戸への出口に堂崎があり、堂崎天主堂はこの岬の先端にそびえている。福江教会で出会った横浜教区巡礼団の姿が教会堂の回りに群れているのが見えた。私たちの海上タクシーを認めて手を振っている人がある。堂崎の鼻を通り、田の浦瀬戸を横切って久賀島・田の浦波止に着くまで約十五分。美景に気をとられてアッという間である。この島にはマイクロバスもない。一行は十二、三人乗りのバンとタクシー一台に分乗して大開の猿浦に向かった。牢屋の窄はこの集落にある(窄とはせまいの意)。船着き場から約五キロの距離。
 坂の下で下車し、楠の生い茂った石段を踏んでゆくと、登りつめた所が牢屋の窄である。正面に、杉林を背景として「信仰之碑」が、高々と建ち、その左右は牢死者の碑である。四十二基が二段にずらりと立ち並んでいる。厳かと言おうか、悲惨と言おうか!
 幕末から明治にかけての五島キリシタン弾圧で、最もむごたらしく人権が蹂躙された場所である。


0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する