10年くらい前でしょうか、「人の金で焼肉を食いたい。」という言葉が、何かをきっかけにして流行り、生徒達も時々言っていた時期がありました。
中高生や大学生がその言葉を言ったり、そう思うことは何とも思いませんが、私自身はこの言葉にかなりの違和感があります。
私は、何の理由もなく人にお金を出してもらうことは、基本的に好きではありません。
人のお金で焼肉を食べるくらいなら、自分で払える範囲でコンビニのおにぎりでも食べていた方が全然良いです。
もちろん、何かの御礼に御馳走になるとか、お返しとして何かをして頂くことはありますので、そういう時は遠慮なくお受けするのですが、少なくとも言われもなくただ単におごってもらうのは嫌で、食べても美味しいとも思えないのです。
実際社会人になってもこういう感覚が抜けず、それこそ「人の金で焼肉を食いたい」と思っている大人は結構いるものですが、こういう類の人が人生のトータルで得られる幸せ度のようなものは、失礼ながらかなり低いようにも感じています。
何と言っても、こういう「人の金で焼肉を食いたい」と言う人は、自立して自分で生きているという自信を安心に変えることができず、相当な不安を抱えて生きていくことを強いられると思うのです。
昨年、以前に塾の講師をしていた子と2〜3年ぶりくらいで会う機会がありました。
その彼は生徒出身ではないものの、わりと慕ってくれてよく飲んだりした仲で、その日は休日で、屋外で行われている昼間のイベントに出向いたところ、ひょんなことから彼も来ていることが分かって合流したのでした。
しばらく立ち話をして、近況を聞いてみたところ、会社の新規プロジェクトに参加して多忙な毎日を送っているそうで、なかなか頼もしくなったなと感じ、せっかくなので近くのファミリーレストランで軽くやろうという話になりました。
そんな彼だったので、ファミレスの席に着き、メニューを見ながら「結構頼んじゃっても良いですか?」と聞いてきた時には、正直ガッカリしてしまい、少し考えたのですが、彼のことを思って苦言を呈することにしたのでした。
彼も三十近くなり、社会人としてそれなりのキャリアを積みながらも、いまだに奢ってもらうことを前提にしているのでは、いつまで経っても自立できないように思えたのです。
私は言葉を選びながらも自分の若い頃の経験を踏まえて、そういう彼の姿勢を叱責したのです。
もちろんファミレスで2人分支払うくらいのお金を持ち合わせていないわけではなく、彼が開口一番にそんなことを言わなければ、普通にお会計の段になって、例えば「今日は払わせて下さい。」までは言えなくとも、「せめて割り勘にさせて下さい。」くらいを言えていれば、ここまでは言えるようになったかと、そのことで彼の成長を感じて、「今日は俺が出すよ。」という展開に自然になったと思います。
私がその場で何を話したか、具体的なことは慎みますが、このブログを今日のこのタイミングで書いたのにはわけがあります。
実は、その彼からこのお正月に年賀状が届き、そこには昨年のこのファミレスでの一件のことが書かれており、自分を見つめ直す良いきっかけとなり有難かったとあったのです。
そういうことがなければ、さすがにこのような単に彼を辱めるような内容は書けないもので、私自身も意を決して忠告してみて本当に良かったなと考えているところです。
彼が幸運だったのは、素直な性格で、人の話を聞く耳を持っていたこと、耳の痛い話でもしっかり聞こうとしたことに他なりません。
そういう若い人達には、彼らより少し先に人生を歩んだ者として、これからもチャンスがあれば自分のできる限りのことを伝えてたいと強く思います。
それが、私自身がまかりなりにも大人になって来たことへの、社会に対する恩返しの一つのようにも考えています。
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