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2020年01月05日08:45

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キリシタン紀行 森本季子ー4

 長崎浦上のキリシタンがそうであったように、五島でも、彼らはも早”隠れ”であることを潔しとせず、信仰表明をするようになった。慶応四年四月(同年、九月に明治と改元)新政府はキリシタンに関しては幕政を踏襲し、新たに禁制を告示した。長崎の「浦上四番崩れ」と称される一村総流罪と時を同じくして、五島でも各地でキリシタン弾圧が起こった。「明治の五島崩れ」がこれである。
 私たちが五島に巡礼するのは、この「五島崩れ」で彼らが示した信仰と受難、殉教の跡をたどるためである。

一、福江島へ〈1988年8月28日〉

●出発

 羽田空港、全日空カウンター前集合は午前七時五十分、搭乗機出発の一時間前、と決められていた。が、七時三十分には全員十五名が集合していた。聖心侍女会十三人、赤羽教会の女性信者二名である。(中略)
 十時二十五分、大村湾が見えて機は下降を始める。翼の下に有明海と大村湾岸の山野が次第に近づく。大村湾すれすれに着陸。定刻十時三十三分である。空港は湾内の箕島に造られ、西彼杵(にしそのぎ)半島東側と水をはさんで対している。強い日ざしの中でセスナ機が人待ち顔にただ一機停(とま)っているのがロビーから見え、のんびりとしている。

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