イスラム社会はイスラム法を持つが、それは拠点を持った共同体を守る必要があったからなのニャ。
ユダヤ教に宗教的規範はあっても法がないのは、離散したのでユダヤ人としての連帯はあっても拠点を持った共同体がなかったからニャ。
キリスト教法学がないのは、救いの教えに徹し教団はあるが共同体がなかったからニャ。
キリスト教徒の共同体が営まれた時期や地域はあるが、それはむしろ例外なのニャ。
教団は政治的には中立を保つか、一部地域のように教会が世俗権力と癒着するか、いずれにしてもキリスト教徒自身による共同体は一般化しなかったので、キリスト教法学はできなかったのニャ。
イスラム法は彼らの社会の置かれた状況を反映して成立したが、聖書やコーランの教えに基づいて作られたのニャ。
だからイスラム法に基づいて運営されるイスラム社会は、聖書とコーランに比較的忠実な社会なのニャ。
運用の現実はアラブ社会の慣習によって歪められた部分もあるのは、残念な現実ではあるニャ。
イスラム社会にしばしばみられる問題があるからと、イスラムの教えを誤解しないで欲しいニャ。
コーランや聖書の教えと、アラブ社会の旧弊が入り混じったのが現実のイスラム社会なのニャ。
キリスト教社会だって、それぞれの社会の旧弊を少なからず引きずって歪められた側面があるニャ。
キリスト教社会にもその歪められた側面だけ見て、キリスト教を邪教と勘違いしている人達が少なからずいる残念な現実があるニャ。
聖典を正しく理解するのは大事だけど、容易ではないのニャ。
ログインしてコメントを確認・投稿する