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2019年12月16日23:53

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忠臣蔵

「忠臣蔵」は主君の仇を討った
侍の忠義のストーリーとして有名ですが、
その話にはいくつかの謎があります。


今日はそのうちの3つを
ご紹介しようと思います・・・


【謎1】
江戸のスパイ網システムをかい潜った赤穂浪士


日本の歴史上、江戸時代は最も平和で
安定していた時代でした。


ただしそれは江戸幕府の
圧倒的強権下だからこそできた
平和と安定です。


各藩は江戸幕府の前で
戦々恐々としていたのです。


武家諸法度を少しでも犯せば、
お家の取り潰し、多額の罰金、
一族全員の地方への島流しが行われました。


ある藩が悪さを企んでいないかどうかを、
速やかにかつ正確に知る
情報把握システムこそが、
江戸幕府の力の源泉でした。


江戸幕府の情報把握システムとは、
密偵の配置、
すなわちスパイ網システムでした。


スパイ網は全国各藩に張られていた
だけではありません。


大名とその家族が住む江戸市中こそ、
スパイ網は密に張り巡らされていました。


そんな中、47名もの赤穂浪士はどのように
潜伏することができたのでしょうか・・・?



【謎2】
厳重警戒の麹町付近に16人も赤穂浪士が潜伏できた


赤穂浪士たちの潜伏先は
忠臣蔵マニアによって綿密に
調べ尽くされています。


日本橋石町をはじめ芝の浜松町など
江戸市中へばらばらと
潜伏していました。


しかし、47名の浪士の3分の1にあたる
16名がみな、麹町に潜伏していたのです。


麹町は郭内にあり、江戸城から
歩いて5分もかかりません。


ましてやここは唯一
堀が土手で固められているため、
市中で最も警戒が厳しい
地区でもあります。


その証拠に、
この通りの周辺に江戸幕府は、
徳川御三家や審判の上屋敷を配置し、


さらに数多くの旗本を
この一帯に住まわせました。


御三家とは将軍の跡継ぎ資格のある大名であり、
旗本とは8万騎と言われた
徳川家の親衛戦闘集団です。


麹町は江戸最高レベルの
治安空間であったのです。


その麹町に治安を乱す
16名もの浪士たちが
潜伏できたとは到底考えにくいです・・・




【謎3】
赤穂浪士の討ち入り後、吉良家の血筋が完全に絶えた


吉良上野介は赤穂浪士によって
討ち取られました。


しかし、これで吉良家の悲劇は
終わりませんでした。


吉良上野介の実子で上杉家を継いだ綱憲は、
父を救えなかったことを悔やみ
一年後に病死します。


さらに、上野介夫人の富子は
息子の死後二ヶ月後に
後を追うように病死してしまいます。


さらに、実の孫の、
吉良左衛門も悲惨な最期を迎えます。


左衛門は討ち入りの夜、
深傷を受け気絶するまで
赤穂浪士と戦いました。


しかし、江戸幕府は
「父、上野介を守らなかった!」
という言いがかりをつけ、吉良家を断絶させ、
領地を没収してしまいました。


吉良左衛門は信州へ流罪となり、
厳しい環境の幽閉で病に犯され
3年後には息を引き取ってしまいました。


こうして吉良家の
血筋は絶えてしまったのです。


吉良家の滅亡に対して
刃傷沙汰を起こした浅野家は
一旦お家取り潰しになりますが、
その後幕府によって復活させられています。


赤穂浪士の18名の子息たちも
島流しを命ぜられますが、
のちに全員許され父以上の
禄高で諸藩に召抱えられて行きました。


忠臣蔵の舞台の山場は
完全武装した赤穂浪士による
吉良上野介の虐殺場面です。


しかし、その後にも
「吉良家の完全抹殺」という
ドラマがあります。


なぜ江戸幕府は
ここまでしたのでしょうか・・・?
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