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2019年11月30日20:56

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(2015年)11/17〜11/19 カリトマトナベシーシャカ

ザバダックのプログレナイトのための上京から(2015年)11月15日(日)に札幌に戻り,次の週末はすぐまた吉良さん林太郎さんと旭川の木楽輪で再会するのですが,(2015年)11月16日(月)は普通に勤務した後,17日(火)から19日(木)までは,カリトマトナベシーシャカ及びカリトマトとの3日間がありました。

この2015年,特に都丸さんは,4月のカリトマト,8月のザッハトルテに続き,かなりの頻度での来道となります。田村賢太郎さんが人脈を築かれたことによるものと思われ,実際,田村さんが北海道を離れられた現在は,都丸さんや原田さんの来札は途絶えているようで,残念なことです。

今回の3日間は,16日(月)のディキシールーと17日(火)のブルースアレーが原田さん都丸さん渡辺さん大須賀さん宮坂さん揃ってのカリトマトナベシーシャカ,18日(水)は原田さん都丸さんが残られてハンモックベースカフェにてカリトマトとのライブスケジュールで,2日目以降は田村さんもゲストとしてお出になる場面があったと思います。

まず初日ディキシールーは,道南から戻ってまだひと月経たない(2015年)8月末にザッハトルテで訪れて以来でした。札幌を離れていたこともあり,お店の存在を知ったのもその時です。

ザッハトルテの時とは着席位置と演奏者に目を向ける方向が90度違っていた記憶で,演奏位置か演奏角度も違っていたのかもしれません。この頃の職場は忙しく,開演ぎりぎりに駆け込むケースも多かったのですが,この日は20時の開演前に食べ物を注文することもできたのではなかったかなと思います。

私の方が先に着席していた記憶ですが,当別の坂本さんがいらっしゃってお声かけくださり,隣席に着席されて開演までいろいろな話を聞かせてくださいました。Drakskipで懇意となられた渡辺さんを見守るためにいらっしゃったのでしょう。

オオフジツボやDrakskipの当別公演をコーディネイトされてのあれこれ。
のやに先立ちDrakskip北海道初登場の場となった紙ひこうき当別店では,何か食べさせてもらって来たのかと思っていたら,僕たちお腹ぺこぺこなんですとの申し出に慌てて食べさせたとか(私やS氏が入場早々に目撃したのは,2階で何か食べて降りてきたところだったのかもしれません。)。

私からは,オオフジツボやDrakskipの初北海道ツアー初日の当別公演について,そもそもどうして坂本さんがお世話されることになったのかといった,日頃は機会のなかった事柄をお尋ねしました。

私の知らない人脈も関係するようなことらしく,あまり咀嚼することはできませんでしたが,ライブ鑑賞をさせていただいているだけの身には見えないような,きれいごとだけですまない様々な御苦労や色々な感情がおありになることが窺われました。

以前にも何かで触れたことがあるかもしれません。坂本さんは,高円寺ジロキチの亡くなられた先代マスターと厚い親交を結んでおいでだったようなのですが,予備知識のなかったオオフジツボのお世話をすることになって相談された際,音源をお聴きになったマスターは,この人達は信用していいと思うよとアドバイスいただいたというお話を伺ったのはこの時だったでしょうか。感銘を受けました。

Deakskipをお招きになる関係では,それまで渡辺さんらと直接連絡を取って決めていたのが,急に全部チカオさんを通してくれということになり戸惑ったというお話もありました。チカオさんは働いているから昼間はなかなか連絡がつかないしと。
一時は頻繁にお顔を合わせた美人マネージャーのナカムラチカオさんですが,Drakskipが野間さんと榎本さんの留学で活動を休止し,再開後も居を東京に移すメンバーがあったり,活動形態がかなり変わってしまって来道も途絶え,この2015年に私が道南を離れる直前に函館にいらっしゃった時が最後になっています(その後,渡辺さんは正式にお辞めになってしまいました。)。

ディキシールーが南円山界隈にあることから,私が札幌では西28丁目近辺に住んだこともあることや,坂本さん御夫妻もお若いころ遠くない辺りに住まわれたことがあるといった話題も交わしたと思います。

カリトマトナベシーシャカ完全体が北海道で全員揃うとはいい時代になったもので,田村さんには感謝です。カリトマト来道時に購入したのでしたか,CDは以前から持っていたと思うのですが,この時に皆さんのサインが揃ったのだったかもしれません。

当時書いたものによると,ザッハトルテやとまとなべの曲も演奏してくださったようです。坂本さんは若さ溢れるエネルギッシュなライブというようにコメントされていたのですが,そのとおりではあるものの私は熟練味も感じました。坂本さんは音楽性も高いというようにお書きになっていたと思います。

翌(2015年)11月18日(水)は,すすきの近くのブルースアレーでした(首都圏にも親しみのある方々がお出になる同じ名前のお店があったと思います。)。
8月のザッハトルテも,ディキシールーの翌日はブルースアレーだったのですが,その時は高瀬麻里子さんのチャランガぽよぽよに行きましたので,私はこの日が初でした。
この日からは田村さんも加わり,前夜の完全体から,カリトマトナベシーシャカ究極体となります。

衣装は前夜も同じだったと思うのですが,マントの下はタンクトップで,ムーンライダーズのYBJのPVを思い起こさせました。

翌(2015年)11月19日(木)は原田さん都丸さんが残られて,ハンモックベースカフェにてカリトマトのライブでした。カリトマト,ザッハトルテ,Gotta Gottaなどで何度も足を運ぶことになるハンモックベースカフェですが,私はこの時が初めてでした。お店の入り口に置かれたフライヤーによると,この頃,嵯峨さんがお出になる催しもあったようです。

一番最近は,2018年3月のグルーベッジとGotta Gottaのジョイントですが,今は閉店したとも聞きます。

座布団などを使って床に座って鑑賞するのが基本の会場ですが,スーツでの正座や胡坐が苦手なので,特に仕事帰りの時は,椅子のように座れる側方や後方の段差のような部分を狙うのが常でした。ドリンクはいつもレッドブルを頼み,薄暗い中での生音の演奏を楽しむのが常でしたが,それらはこの日が出発点だったのでした。

さて,カリトマトナベシーシャカ及びカリトマトとの3日間が終わり,翌(2015年)11月20日(金)からは,結果的に最後となった吉良さんの林太郎さんとの来道です。

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