mixiユーザー(id:28749778)

2019年11月16日21:07

91 view

(2015年)11/14〜11/15 プログレナイト〜蚤の市

野口★健withトシバウロン初北海道ツアー終了の翌週末,(2015年)11月1日(日)はサッポロファクトリーに巨大クリスマスツリーの点灯式を見に行きました。雪はまだでしたが,寒かった記憶があります。

その次の週末はこれといったところには行かず,そのまた次の週末,(2015年)11月14日(土)から15日(日)にかけては,道南から札幌に戻って初の東京行きとなりました。
東京キネマ倶楽部にてザバダックのプログレナイトと題するライブがあったからです(因みに前日までは静内,浦河への出張でした。我ながら忙しい日々です。浦河ではかつてDivaを観た町立図書館併設の会場前を十数年ぶりに通りました。)。

最近はザバダックの東京キネマ倶楽部といえば3月の周年ライブのイメージですが,この頃はプログレナイトも年に複数回開催されることがありました。大きな会場ということで,ファンクラブの先行予約があり,早くから日程が決まるので,東京行きのペースメーカーのようになっていました。

久々に新千歳空港からの上京。休暇を使わず土日1泊のみで,宿は渋谷近辺だったと思います。

この日,音や金時では坂上さんじょんさん須貝さんという行きたい催しもあったのですが,そもそも東京行きを決めたのはプログレナイトのためでしたから,苦しいところではありましたが,ザバダックを優先することにしました。同様のケースは以前の藤野さんソロでもあり,開演に1時間半の差があっても,鶯谷でのたっぷりとしたライブに西荻窪までの移動時間が加わると,アンコール前あたりからの鑑賞となったものでした。今回もせめてそれくらいまでにたどり着ければといったところです。

都内に着いて,まずは渋谷のタワーレコードに寄り,8階の催事場などを覘きました。翌日が発売日だったnabanaの初アルバムや表現のミニアルバムがフラゲで既に売られていましたが,nabanaの方は音や金時で須貝さんから入手できるのではないかとの思いで,表現のミニアルバムだけを購入したのだったと思います(実はこの日は下北沢で表現のライブもあったようですが,プログレナイトより早い17時開演にてこちらは最初から断念するほかありませんでした。)。

それからはゆっくりと鶯谷へ向かい,まずはプログレナイトを鑑賞しました。
セットリストなどの詳細は今となっては定かではありませんが,プログレナイトですからインスト曲中心だったのだと思います。吉良さん,公子さんのほか,サポートメンバーは,難波弘之さん,楠均さん,吉田誠さん,向島ゆり子さん,鬼怒無月さん,藤井珠緒さんでした。

ファンクラブ先行で入手したチケットにて席は前の方でしたが,開演前に近くの席のお客からお声をかけられ,どなたかと思ったら林太郎さんでした。「道南さん,木楽輪に行ったんですか。」といったものだったと思います。
林太郎さんも古くからファンクラブ会員でいらっしゃるようでしたが,これまで東京キネマ倶楽部では終演後にしかお見かけしたことがなく,おそらく2階席で御覧になっているのではないかと想像していました。この時は我々と似た条件での観覧だったようです。

先日の旭川アーリータイムズでのロケット姉妹のライブに先立ち,旭川駅からの所要時間等確認のため偵察に行き,木楽輪の外観も撮影してSNS類に上げたのを御覧になっていたようでした。

9月末の時点で,既に吉良さんと林太郎さんのきら☆りんが木楽輪にいらっしゃることがわかっていたことになります。名称が木楽輪とあっては,行かないわけにはいかないと吉良さんや林太郎さんは大いに盛り上がっていたようですが,現地に赴かれたことはなかったようで,吉良さんからも「おお,こういう場所でしたか」とネット上で反応をいただいていました。この日は首都東京での一大行事でしたが,考えてみれば木楽輪でのきら☆りんも1週間を切っていたのでした。

キネマ倶楽部の終演後はすぐに西荻窪を目指しました。山手線で鶯谷から神田まで移動し,神田で中央快速に乗り換え,西荻窪に快速が停まらない土曜日のこととて荻窪で各駅停車にまた乗り換えたのだったと思います。50分前後は要したのではないでしょうか。荻窪到着時には少なくとも21時を過ぎていたと思います。

音や金時にたどり着いた時には,ハンドリオンで私が一番好きかもしれないワルツフォースナフが終わろうとするところだったと思います。ドアの外で耳をそばだて,曲が終わったところで客席に滑り込みました。ワルツフォースナフが最後の曲だったようで,その後にアンコールの1曲があったのだったでしょうか。

今では年に2回ほどしかお会いしない東京方面のライブ会場系知人の方からも,じょんさんがいるから早く終わるのをわかっているくせにといった指摘を受けてしまいました。

ライブ会場系知人がこの時だけ伴っていた若い男性客は少々アルコールを召していたようで,最後の最後にすーっと入ってきてすーっと座ったなどと囃されてしまいました(帰りに西荻窪駅のホームで再度行き会った時にもう一度言われた気がします。)。

このまま帰るのではお店に申し訳ないと思い,マスターにネパールティーを注文させていただいたのですが,ミュージックチャージは受け取っていただけませんでした。

須貝さんは期待どおりnabanaの初アルバムをお持ちだったので,購入の上,サインなどいただきました。

じょんさんは、北海道の皆さんによろしくとおっしゃってくださって、札幌に戻れたありがたみを改めて感じました。

翌(2015年)11月15日(日)は,渋谷の宿を引き払った後,午前中はまず水道橋を目指し,TOKYO DOME CITYのラクーアで某グループの新曲発売イベントを眺めました。
その後は,水道橋からおそらくは新宿で京王線に乗り換えて京王多摩川へ向かいました。

東京オーヴァル京王閣にて東京蚤の市がありました。親しみのある方々がお出になることが多い催しで,この時も土日の両日今でいうIrish Music Partyのような面々が三度ずつミニライブをされることになっていました。

前日の土曜日が12時20分,14時40分,15時,この日曜日が11時,13時40分,14時で,13時40分の回までの到着を目指しました。

お顔ぶれは,前日の土曜日が豊田さん野口さん奥貫さんTim Scanran,この日曜日が中藤さん長尾さん須貝さん中原さんでした。どちらかといえば2日目の方が面識のある方が多く,須貝さんとは前夜の音や金時に続いてとなります。

京王閣は約1年前の2014年11月に来て以来だったと思います。音や金時ユカキラ、荻窪かん芸館あらさん林太郎さんなどのために上京中の週末の昼、その時も東京蚤の市でtricolorのミニライブを観ました。

2014年も2015年も競輪施設全体を使った大規模な催しでしたが,ライブの場所は違いました。2回目と3回目の時間が短いことから,13時40分の回は場内練り歩き演奏で,演奏場所に到着して引き続き14時の回の演奏が始まったのだったかなと思うのですが,2014年の時と記憶が混同しているかもしれません。

演奏場所はそう広くはなく,ステージといったものではありませんでしたが,テント風の屋根にテーブルが設えられていました。東京でも木々の葉の色は変わって場内にかなり落ちていたような気がします。15時前後までの滞在だったと思いますが,陽射しも傾き始めていたイメージも残っています。

出店者以外の催しは音楽だけではなく,パントマイムのようなことをされる方もステージの時間以外にも場内をそぞろ歩いてそこかしこで芸をお見せになっていました。
中藤さん長尾さん須貝さん中原さんの演奏の最中にもやってきて,私ともう一人のお客が誘われ,3人で肩を組んでラインダンスのような足さばきをさせられたりしました。

私がそんなことをするのはレアなことで,終演後にお話をした中原さんからも,ナイスダンス!とのお声かけや、あぁ誰か記録記録…と思ったとのコメントをいただき,お恥ずかしい限りでしたが、滅多に見れないですからねとやけのようにお答えしました。

中原さんからは,あまり嫌がっていなかった,終わってもまだやりたそうにしていたなどという指摘もありました。確かに,体を動かすことで爽快感に似たものを感じたことは否定できず,これはその余韻であろうか…などと反芻していたのがそう見えたのかもしれません。

また,誘いを断らなかったのは,前年(2014年)8月のはこだて民族芸術祭の記憶が翳を落としていたかもしれません。オーストラリアンケルトの壮年ユニット,イネシーアのステージのクライマックスに演者とお客が手に手をとって踊るコーナーがあって,イネシーアの老婦人が私に手を差し伸べてきたのを,人前でステップなどとはとんでもないと慌ててお断りしたことがありました。欧米系の若い女性客がすかさず代わりに入ってくれて場の空気を救ってくれたのですが,私がケルトミュージックを楽しんでいるように見えたからこそお誘いくださったかもしれないのに申し訳ないことをしたのではないかととの思いがよぎっていたのでした。

後年(2017年),中島公園近くのUNWIND HOTELの隣り,ビアバーバジルバジルにてのGotta Gottaの練り歩き演奏時,客席のベリーダンス系かと思われる女性のお誘いに素直に応じだ際,長崎さんは目を丸くしておられたそうですが,そういう思いがあったのでした(長崎さんからは後にダイマで,ああいう時は断らないんですかといったお尋ねを受け,以上の旨をお伝えしようとしたのですが,うまく伝わったかどうかはわかりません。

少し話が戻りますが,終演後,パントマイムの人の関係のやり取りに先立ち,お久しぶりですとまずお声かけした私への中原さんの第一声は,「○○あと少ししかないですよ,どうするんですか」というものでした。約2年半ぶりに顔を合わせた私への第一声がそれですかと若干寂しさも感じたのですが,それならばと,その話題に立ち向かうことにしました。

東京時代に○○が子役で出ていた舞台劇を見たことがあると申し上げると,中原さんからは,おお,天才少女と謳われた頃の,といった御反応でした。あと私からは,札幌でもライブビューイングがあるから行ってみようかなとか,今の研修生は恵まれていますよねといったお話を申し上げたと思います。

中原さんからは,△△について,すっぱり辞めてしまうというのがいいですよねといった御発言もありました。けっこう長くお話しさせていただき,そうした話題は,喉頭がんの手術で声を失ったつんくさんが思いのほか早く食道発声法を習得しているといった話で前向きに終わりました。

そのかわり他のお三方とはあまりお話ししなかったかもしれませんが、中藤さんには前夜須貝さんから購入したnabanaのアルバムにこの時にサインをいただいたのだったと思います。それからは,陽射しが傾き始めたとはいえ,まだ明るいうちに羽田に向かい,休暇を伴わない1泊の旅は終わりました。

さて,次の週末のきら☆りん木楽輪の前に,月曜から3日間カリトマトナベシーシャカ及びカリトマトが札幌に出現しています。

1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する