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2019年11月13日20:55

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神界からの波動    魂 世 紀

神界からの波動

   魂 世 紀






                             田岡 満


                               学 研

目次

プロローグ   妻・英子の自殺

1章   無明の網の中で

     妻の遺体から声が

     謎の霊界通信

     観音との出会い

     奇妙な暗合

  *「偶然とは思えぬ偶然の一致」ー深層心理学者ユングのいう「シンコロニティ」

     因縁に導かれて

2章   わが父と母
     山口組三代目襲名

     「悪の親玉」という虚像

     母、三代目姐

3章   温室育ちのバカ息子

     愛情腹一杯

     数千人の「子」育て

     三十年間の惰眠

4章   現象界から心霊界へ

     霊的探求の開始

     霊能開発

5章   謎の霊界通信

     感覚の目覚め

*第三の目ー霊眼のこと。大脳のほぼ中央になる間脳部の中野脳下垂体と呼ばれる部位が関係しているというのが定説。仏像・仏画などで額の中央に描かれている”点”が、第三の目を表している。

     わが妹、それは憑座(よりまし)

*龍神ー人類とは起源を異にするし善霊のひとつ。強力な力を持ち、霊界などに棲む。正確や・能力は色や形態により異なる。
*定(しよう)ー瞑想状態の一種。意識の特殊な集中状態。反対語は”散(さん)”。
*憑坐(よりまし)ー神霊その他をより憑かせる人間。伝統的に婦女・童子が使われた。憑坐に憑かった神霊の素性・聖者を判定する作業を”審神”といい、それを行う者を”審神””神主”という。

     妻との霊界デート

     霊界のもの差し

*「それはまちがっている」「ダメだ」「いけない」「するな」などとは言わない。→「もう一度考えてみてはいかがですか」「本当のそれでよいのでしょうか」「それはあなたの考えですね」「もっと別な見方はありませんか」

*霊界の住人は、同時に幾つもの空間に存在できるし、過去・現在・未来を同時に見わたすこともできる考した状態で理解している森羅万象の実態を、われわれが理解する事は不可能に近い。
 さらに、彼らは頭で考えない。我々の肉体的頭脳を、彼らは持っていない。彼らはどんなことがらでも、すべてを瞬時に全身で感覚し、同時に理解する。光のも色彩にも、すべてそれ固有の言葉があり、思考があり、生命がある。彼らはそれを呼吸し、浴び、味わい、身をひたすことでまるごと理解する。それを言葉で言い表すこと、これまたかぎりなく不可能に近い。

*輪廻転生ー狭義には霊界と限界の間を、生き変わり死に変わりして循環をくりかえすことを指す。”リーインカーネーション”

「輪廻ということは、一言では言い表しえません。回り、流れ、戻り、そしてまた回り、それもまた流れ動きます。輪廻の定儀というものも、あってしかり、またなくても当然といった性質のものです。あなたはすぐに結論を求めますが、その結論も定後も宇宙の中に存在し、また宇宙も結論も定義も、輪廻の中に存在して支えあい、また向かいあい、そして背を向け、投影されているのです」

     幽体離脱で地獄行き

6章   阿弥陀来迎の図

     山口組壊滅作戦と最初の死線

*「ええことをしたときのうれしさを感じさせてやりたい」

     重なる死線を越えて

     父の臨終

7章   心霊界を超える

     死の重み

     心界の迷宮へ

*内観法ー精神を集中して自分の心の世界を観じる行法。歓心。
*サイコセラピー=精神科学を応用して意識の状態を変化させ、操作することで障害を取り除き、潜在能力を活性化させる精神療法。

     ”素の空間”に立つ

*「ありがとう、ありがとう、皆さんありがとう・・・・・」
「もうしわけありません、ごめんなさい、ごめんなさい・・・・・」

「この汚い自分をきれいにするのは私しかいない」
「穢れているのはおまえだけか?社会はどうだ、国はどうだ?」
「魂だ!魂が汚れていたのだ!」

*自分は「造られし者」という気づき
*「素直」=”素”に”直”ること。全身全霊で「素直」という状態に入り込む=”素”とは根源、すなわち”魂”そのもののこと。また、換言すれば”神”ともいえる空間、”素の空間”へ”直”る、まっすぐ向かう、もとにもどる、突き進むことが「素直」という状態。

8章   悟りの空間

     この一歩を渡る

     闇の中の一点の光

     悟りという始まり


9章   四次元連動帯

     宇宙を呑む四次元連動帯

*心界と(四次元世界)と物質界(三次元世界)が重なり合った世界(我々が生きている世界)=「四次元連動帯」→広大無辺の宇宙と広大無辺な心界をそのうちに含んだ、超巨大な空間。その中には、ありとあらゆる物質的・物理的現象が含まれる。と同時に、あらゆる心の動きから生じる現象が含まれる。思考や感情といったものはもちろんのこと、輪廻による前生の徳や、因縁なども、すべてがこの四次元連動帯に属している。

     物質的現象と心的現象

*「内海康満氏」(仙骨エネルギー)の師匠「竹内満朋氏」(日本屈指の霊能者)
*科学の世界でも「三次元だけを相手にしていたのでは、この世界に起こることはどうもうまく説明されない。心という要素を組み込む必要があるかもしれない」と気づき始めた。

*四次元連動帯の中で起こる「心的現象」と「霊的現象」は同じものではない。
*「この世は心界だ」という主張の過ち。
第一に、この世は「心界」と「物質界」が合わさってできている。だから、心界に由来する現象もあれば、純粋に物質界に由来する現象もある。病気に関していえば、心界に念を投射し、そこに健康体をつくって現界の肉体にかぶせ、病気を治すことは現実にできる。また、心界に由来する病気も、心の持ち方で治すことはできる。しかし、物質界に由来するウイルス性疾患等は、心の力に頼って治すよりは、物質的な方法を用いる医学によったほうが、はるかに効率がよい。このあたり前の事実を、故意にか無知によってかは知らないが無視するという過ちを、している。
第二に、この世には、心界・物質界を包含した四次元連動帯より高次元の空間が、同時に存在している。すべてが心界という主張は、この点を見落とし、霊も神仏もひとまとめにして心が描き出した像と説明したり、あるいは心界内に霊なり神仏が実在するなどといった、とんでもない過ちを犯している。

     魂の領域

*われわれが真に知らねばならないのは「四番目の私」である。「第一の私」は現界に、「第二と第三の私」は心界にいた。しかし「第四番目の私」は、心界の外側の空間にいる。
 そしてそここそが、魂の領域なのだ。魂があって初めて、第一から第三までの私というものが存在する。われわれの本質は魂にある。その魂が立っている空間ーそれが「素の空間」なのである。

     神聖にして邪悪な魂

*魂がなければ、すべては消える。しかし魂があるかぎり、あなたは「無」になることはない。その意味で、「無我」ということは絶対にありえないし、「無我」になることもありえない。「無我」とは、一種の言葉遊びだ。

10章   結婚・結魂

     父に及ばず

     死装束は花嫁衣装

*内観→人間が魂の位置を見出すには、「感謝」「素直」にふたつの状態に入りきる以外にはない。


11章   魂の終末期

     神類と人類との距離

神界は、われわれがこの世および死後の世界で関係する一切の世界とは全く隔絶した、自足した完全世界であって、われわれの存在とは無関係に実在する。新界に住む人々を、仮に神類と呼ぶなら、神類は、われわれの前に現れることもなければ、通信することも、まずない。人類と神類とでは、あらゆる点でレベルが極端に違い過ぎ、語ることはおろか、姿を見ることも、否、創造することも不可能なのだ。

*神という名のもとに現界に現れてくるのは、ほぼすべてが霊界人か自然霊である。中でも、高級霊界中の竜神界に魂の本籍を置く龍神系神類は、古来しばしば現界に登場している。また、地球外生命体ーいわゆる宇宙人を、人類が神とあがめるケースもある。
 いずれにせよ、神と名乗り、あるいは人間が勝手に神と呼んでいるこれら異次元の住人は、先に述べた神界の神類とは全く違う。

 異次元空間には、われわれがいう時間は存在しない。それは、あるひとつの状態といってもよい。ひとつの状態は、そこから出ないかぎり永遠に続く。そこで、異次元界の住人が人間の、あるいは人類の状態を見ると、それがどのような遍歴をたどってその状態にたどりついたか、この状態がこのまま続けば、物質レベルでどういうことが起こるかはてにとるようにわかる。さらに、現界と異次元空間は「写し写され」の関係になっているから、そこにあることはそこにあること、ここにあることはここにあることという具合に、これまたその現状・将来がはっきりとわかる。つまり予知予言は、何ら奇異な現象ではないのである。
 時間というものはいろいろな角度から説明することができるが、今の話の関連でいえば、それは一種の心の作用ということができるだろう。
 現界人が、自己の魂と出会わないかぎり、その人は、遊ぼうが、学ぼうが、絶望しようが、出世しようが、ずっと同じ状態にある。兆霊界レベルから、あるいは魂のレベルから見ると、その人は同じ一点にとどまって変化していない。
 しかし、肉体人間には、ひとつの状態にとどまっているとは感じられない。それは心があるからで、喜んだり、哀しんだり、怒ったり、泣いたりする心の動きー魂の海に立つさざ波のような、とりとめのない心の動きを空しく追い求め、それを時間の経過として感じているに過ぎない。
 しかし、くりかえすが、それはたんによせては消える泡沫の心の動きであって、魂のレベルでは何一つ変わっておらず、ただひとつの状態にすぎない。
 そこで、この状態がずっと続けば、その人の行き着く先は分かり切っており、運命に流されr、剛に流されるしかないわけで、それを予知予言することは実にたやすい。もともと時間のない霊界から見た場合、それを予言するのは、赤児の手をひねるより簡単なことなのだ。
 にもかかわらず、予言はしばしば外れる。この意味を、人々は真剣に考えなければならない。予知予言が外れるのは、人間が、自分の置かれた状態を変えることができるー運命と呼ばれるものを変えることができるからで、Aの状態ならAの未来につながるところが、Bの状態に変わったら、もう’Aの未来は起こり得ないのだ。

 くりかえすが、神類と人類との距離、次元の開きは、それこそ大会をインクにして書き尽くしても尽くせないほどすさまじいのだと、しっかり認識してほしい。

     輪廻の法も滅びる!

 これほどかけ離れた神類と人類との接点はないのかというと、そうではない。
 魂ーこれこそが人類と神類との、唯一の接点である。
 魂とは何かというと、それは「神の通り道」だ。神は魂を通って現出する。魂の位置に立ったとき、人は神の存在を始めて全身で経験する。直覚する。

12章   多次元宇宙の”無”を救うのは?

     神界の扉、今開く!

 われわれは、すべてが「存在」という方向に向かって回転する多次元宇宙空間に生きてきた。魂は次々と投射投影をくりかえし、無限に照応しあう巨大生命宇宙というものを成り立たせてきた。
 この世界にあっては、「有」がすべてだった。どんどん消えていく宇宙ではなく、どんどん増大していく宇宙ーそれがわれわれの多次元宇宙の姿だった。そしてその宇宙を根元から支え、成り立たせているのが、魂という実体だった。
 ところが、その魂が腐敗し、消滅し始めている。これはもうお手上げだと、私は思った。どう考えても救われる道はないと思われた。

 そのとき私は、私という意識を現界においたまま、自分の一部を”素の空間”に置いた状態にあった。

「神界が開いている!神類は今、神界と現界との間に直接身とを開こうとしている!!」

 まず、最も驚嘆すべき発見は、神界と現界と霊界の位置関係であった。といっても、三次元的な意味での位置関係では、もちろんない。いわば次元差とでもいうべき位置関係なのだが、それを言葉で言い表すことはとても出来ないので、概念としてお伝えする。

 神界は、この現界ー肉体人間の住むわれわれの世界からしか見えず、霊界からは角度差というか次元差がある関係で、まったく見えないという、まさに驚天動地の実体であった。

 なんとも信じがたいことだが、神界は、高級霊界からは絶対に見えず、したがって現界以外のすべての異次元空間は、神界からの光、神界からの波動(バイブレーシヨン)が絶対にとどかない次元差上の位置に置かれているのということを、私は毛筋ほどの疑念も入り込む予知のないほど確固とした啓示によって、直覚させられたのである!

 なぜ彼らはやって来るのか?
 現界が、唯一神界の見える位置にあるからのなのだ。

 通常信じられているように、現界は霊界の二軍なのではない。現界に転生するのが二軍落ちで、霊界に入るのが一軍昇格なのではない。それはまったく逆なのだ。霊界こそが、現界の二軍、ファームなのである!
 だからこそ、神界の見える現界は三千世界内の、いうなれば一等地なのだ。どんな手段を講じてでも確保したい空間なのである!
 現界は、次元佐野関係でたまたま神界と直面しているという以外、他のすべての点で霊界とは比較にならないほど劣っている。肉体人と霊界人との差も、天と地の開きがある。(略)
 だからこそ、近世に至るまでは、散発的に現界に現れる霊界人はあったが、現界は現界、霊界は霊界として、その秩序がまがりなりにも保たれていた。人間は輪廻の法則に従って、死ねばその境涯に応じた空間に移行し、時がくればまた現界に再生して、自動的に回転していた。
 その間、神類のおられる神界は閉じていた。

 ところが、・・・魂が腐り始めた。
 と同時に、霊界も消え始めた。
 霊界で自足していた霊たちの居場所がせばめられていく、このままでは霊人の居場所も、人間の生き場所もなくなる事態に直面した。
 幽界も地獄界も、同じ状態になった。過去の霊界・幽界の情報の一切が通用しなくなる滅法期に入った。
 このとき、神界が、なぜか開いた。・・・これは神の、真の創造主の慈愛そのものの表れなのではないかと思っている。
 神界が、理由はわからないが、とにかく開いた。
 今は救われる場所は現界しかないというので、霊界から地獄界まで、三千世界の住民が一斉に現界に着目し、大移動が始まった。
 これが、今、まさにこのときの状態なのである!


     守護霊の実相

 魂消滅の危機と、今世紀に至ってにわかに守護霊活動が顕在化し、一般の人までも信じる信じないは別として、守護霊というものの存在を知るようになったこととは、密接な関連がある。

 守護霊は、原則的には一人に一体だが、複数の場合もある。厳密にいえば、その霊体は霊界と限界との間の空間ー三・五次元の世界に属しており、人間ンオ潜在意識を通じて活動している。この守護霊を「第一守護霊」といい、それ以外の守護霊は霊界で活動している。諸語される人間の置かれている状況、進歩の度合いに応じて、守護霊は入れ替わる。三・五次元の守護霊が霊界に戻り、新たな守護霊が第一守護霊となって三・五次元界に移ることを、守護霊の現界化と呼んでいる。

 霊界側の救済というのは、「助けてやる」ではなく、「助けさせていただく」という法則で、徹底して貫かれている。

 それはなぜか?
 その最大の理由は、いくつかの例外を除けば、守護霊イコールその人の「前生」だからである。
 つまり守護霊とは、過去のあなたであり、同じ魂の投射投影だからなのだ。
 あなたと、三・五次元で活動している第一守護霊、さらにはその後ろの守護霊、そして、その他のあなたのすべての前生の霊たちは、肉体人間であるあなたと、断ち切ることのできない一本のラインで、みごとにつながっている。

 そして、前生のあなたたちは、自らが犯してきた過ち、もろもろの罪汚れを、ラインの先端にいるあなたにきれいにしてもらいたいと、せつないほどの真剣さで切望している。自分たちが到達できなかった悟りのレベルに到達してほしいと、狂おしいほどに待ち望んである。
 だからこそ、それらあなたのすべての前生を代表して、守護霊は全霊をあげてあなたを守護し、導こうとするのだ。必死なのだ。なぜなら、一番先端にいるあなたが気づけば、前生の全員が救われるからである!

 だからこそ守護霊は、足もとで、最底辺で、それ以上はないというギリギリのポジションにあえて立って、われわれを守護してくれているのである。その働きのありがたさを、われわれは本当に、腹の底から知り、感謝し、そしてふるいたたなければ嘘なのである。
 過去何度となく生き変わり死に変わりしてきた末に、あなたがいる。あなたという存在は、過去何十何百という前生のあなたにとって、まさに希望の星なのだ。

 それはあなたが、この肉体を持って現界に生まれてきたからである。

     肉体は神気の「扉」だ!

 肉体人間のみが持つ特性と何か?

 魂の通路を通った神気ーあるいは”神の光”は、肉体を取って出入りする。霊体でも幽体でもなく、この、古来、罪穢れのかたまりのようにさげすまれ、非難され続けてきた肉体身を通してのみ、出入りする。
 だからこそ肉体人間は、知性の面でも、悟りの面でも、数々の霊能面でも、感性感覚の面でも、どのような点においても霊界霊に
比べると劣っているにもかかわらず、三千世界内で最も重要なポジションにいるのであり、あなたの前生である守護霊が、その前存在をあげて守護しているのである!
(略)
 ならば、それほどすばらしい霊界に入った者が、なぜ不自由な肉体にあこがれるのか?なぜ必死になって転生したがるのか?不浄だ、低級だ、波動が荒いとケチばかりつけているこの地球世界ー肉体世界への転生を、なぜ渇望するのか?
 霊界人だけではない。なぜ自然霊は、ありあまる超能力を持ちながら、肉体に憑依したがるのか?肉体を持ちたがるのか?
 その根源的な理由はただひとつしかない。それは肉体身というものが、神の出入りする扉ー私のいう「自己扉」だからだ。そのことを、霊体や幽体は、あるいは知らないかもしれない。自然霊も、知ってはいなかったかもしれないしかし、霊体や幽体、自然霊等の本体は、十分に知っている。本体ーすなわち彼らの魂は、肉体身の意味を知っているのである!
 だからこそ彼らは、熱心に転生したがる。まして今、神界は開いた状態にある。魂の汚れを落とし、神の通り道の詰まりをなくした人の肉体身は、神気を通しうる状態にある。これほど価値のあるものは、今の時点では肉体身以外ない。だからこそ激しい肉体身の争奪戦が始まっている。有史以来、類を見ない猛烈な勢いで人口が増加しているのである!!

 有史以来の覚者「釈迦」=「人心得がたし」

 人類が肉体身に目を向け出したという事実は、魂の消滅という逼迫した事態の対する、魂自身の危機感の現れ以外の何物でもない。この「魂自身の危機感」が前多次元空間宇宙に投射投影され、霊界が反応して、いわば怒濤の勢いで肉体人間の潜在意識に「目覚めよ!!」と働きかけているーそれが現在という時なのだ。
(略)
 しかし、せっかくこの身の重要性に目を向けてはみたものの、肝心かなめの魂の危機のほうには、だれも気づいていない。この、いわば反覚醒とでもいった状況の置かれているのが、現人類なのであるー。

     神界からのバイブレーション

 ここで是が非でも確認しておかなければならないのは、肉体の鍛錬、潜在能力の開発などは、それ自体が目的なのではないということだ。それはあくまで、魂とつながった神気の「扉」=肉体の詰まりをとり除き、神気の通りをよくするための作業なのであって、本来の目的は、魂の位置に立ち、自らの魂を救済することにあるのである。
 よりはっきり言うと、感覚のよい体は、魂の位置で居りやすい。逆に感覚のわるい体は、心のとらわれやすいという、ただたんにそれだけのことなのである。
 ここをはき違え、肉体開発のみ執着すると、いかに霊的に開発された肉体を得ようとも、その人はたんなる心界のとらわれ人に堕してしまう。というのも、肉体は、魂よりはるかに強く心に縛られ、支配されるものだからだ。
 肉体身の重要性に気づき、掃除することは、それ自体としてはとてもいいことだ。しかし、肉体の神秘器官を開発しようとしまいと、人間は魂の位置に立てるという事実を知ることは、はるかに大切なことだ。
(略)
 ただ、ひとつだけ誤解しないでほしいことがある。それは、肉体身というものがとても大切だということと、肉体の性能のよしあしとは関係ないということだ。
・・・・・魂に出会えば、神気はその人の魂を通り、肉体身という扉をおしあけて、必ず、現界にあふれだす。
 あの三重苦のヘレンケラーが、ついに魂と触れ合ったように、その人が肉体をもって生を受けたかぎり、どんな状態であれ、どんな境遇であれ、魂に至る道は等しく開けている。目に見える肉体(ボディ)そのものが大切なのではなく、このボディを与えられている三次元に存在していることの意味を知ることが、最も重要なのである。
 目身見える肉体身が現界に存在するからこそ、心理を感じとれる。ここでしかわからない、ここにしかない心理が、三次元の肉体身の中には、埋もれた宝のように眠っているのである。
 このことをもう一度しっかりと確認しておいたうえで、いよいよわれわれは、魂の救済という大問題へと移っていくことにしよう。



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