2808日目からのツヅキ・・・
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「伊予之二名島の顔の一つ(古事記)」
伊豆・伊曽保=伊蘇普(イソップ)
伊太利(イタリア)
伊吹(イぶき)
伊予柑(いよカン)
伊呂波(イロハ)
伊部焼(いんべやき)
伊(かれ)・伊(これ)
伊達(だて)
伊達巻(だてまき)
伊藤
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伊=亻+尹
イ
かれ
これ
ただ
かの
第三人称
この
語調を整える助詞
河南省n川の名=伊水
伊太利
人名名のり
いさ・おわむ・ただ・よし
地名
伊串(いくし)和歌山県
伊丹(いたみ)兵庫県
伊井(いい) 福井県
伊仙(いせん)鹿児島県
伊佐(いさ) 沖縄県
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尹=ヨ+丿
イン
おさ
おさめる
ただす
長官
安定させる
乱れないようにする
かみ
四等官(シトウカン)
弾正台の第一位
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・・・ダブった・・・?
中井桜洲
(なかい おうしゅう)
幕末・明治の政治家・鹿児島藩士
幼名は休之進、通称は弘
18才で脱藩
諸藩の志士と交遊
後藤象二郎の知遇を得て英国に留学
帰国後
宇和島藩
伊達宗城に招かれ仕えた
滋賀県知事・元老院議官・京都府知事
等を歴任
詩文を能くした。明治27年(1894)歿、57才
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中井 弘(なかい ひろし・ひろむ)
天保9年十一月二十九日(1839年1月14日)
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明治27年(1894年10月10日)
薩摩藩士
外交官、政治家
号は桜洲(桜州山人)・・・桜島のある国?
別名
横山休之進、鮫島雲城、後藤休次郎
田中幸介、中井弘蔵
鹿鳴館の名付け親
著書に
『合衆国憲法略記』
『西洋紀行航海新説』・・・・・?
『魯西亜土耳其漫遊記程』・・・?
明治の怪傑、奇人、滑稽家
・・・「西洋史」を研究した人物・・・鹿児島人・・・
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桜島
古代に「鹿児島」と呼ばれていた
1334年(建武元年)
頃の記録では
「向嶋」と呼ばれ
1476年(文明八年)以降
「桜島」の名称が記録に現れ
その後
「向嶋」と「桜島」の名称が併存
1698年(元禄十一年)
薩摩藩の通達で
桜島の名称に統一
「向嶋」の名称は
東西南北どの方向から眺めても
こちらを向いているように
見えることに由来
御岳は
「筑紫富士」とも
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「桜島」の名称由来
三説
島内に
木花咲耶姫命を祭る神社が在った
島を「咲耶島」と呼んでいたが
転訛して「桜島」となった
『麑藩名勝考』『三国名勝図会』
10世紀中頃
大隅守を勤めた
桜島忠信の名に由来
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桜 島 忠 信
(さくらじま ただのぶ)
平安時代中期の官人
姓は宿祢
官位は外従五位下・大隅守
姓は櫻嶋
文章生
大学寮の
字(あざな)では
櫻藝と称され
文章生の年長者としての堂監を務めた
4年にわたり堂監
除目で任官の機会に恵まれず
一方で大学寮に属していない者が
財力を背景に
文人職を得
憂いた忠信は
官位の売官が横行していると
批判し
官吏社会の腐敗を鋭く諷刺した
落書を出した
本朝文粋には
『桜島忠信落書』として収録
この落書によって
忠信の大隅守が決まった・・・
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大隅守となった忠信は
在庁官人らの職務怠慢を糾問するため
郡司を召した
白髪の翁が出てき
白髪の翁を見て憐れに思った忠信は
翁に一首詠ませた
『老いはてて
雪の山をばいただけど
霜と見るにぞ
身はひえにけり』
と返した
忠信は、翁の罪を赦した・・・
逸話は
『今昔物語集』
『宇治拾遺物語』
にも収録
地名の桜島は忠信の姓から由来・・・
『麑藩名勝考』
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海面に
一葉の桜の花が浮かんで「桜島」ができた・・・
『麑藩名勝考』
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犬上県(いぬかみけん)⇔長浜県
1872年(明治四年)
近江国北部を管轄するために設置
滋賀県北部や東近江市の大部分
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