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2019年11月09日20:34

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2808日目からのツヅキ・・・号は桜洲(桜州山人)・・・桜島のある国?

 2808日目からのツヅキ・・・
 ↓↑
 「伊予之二名島の顔の一つ(古事記)」
 伊豆・伊曽保=伊蘇普(イソップ)
 伊太利(イタリア)
 伊吹(イぶき)
 伊予柑(いよカン)
 伊呂波(イロハ)
 伊部焼(いんべやき)
 伊(かれ)・伊(これ)
 伊達(だて)
 伊達巻(だてまき)
 伊藤 
 ↓↑
 伊=亻+尹
   イ
   かれ
   これ
   ただ
   かの
   第三人称
   この
   語調を整える助詞
   河南省n川の名=伊水
   伊太利
   人名名のり
   いさ・おわむ・ただ・よし
   地名
   伊串(いくし)和歌山県
   伊丹(いたみ)兵庫県
   伊井(いい) 福井県
   伊仙(いせん)鹿児島県
   伊佐(いさ) 沖縄県
 ↓↑
   尹=ヨ+丿
     イン
     おさ
     おさめる
     ただす
     長官
     安定させる
     乱れないようにする
     かみ
     四等官(シトウカン)
     弾正台の第一位
ーーーーー
 ・・・ダブった・・・?
  中井桜洲
 (なかい おうしゅう)
 幕末・明治の政治家・鹿児島藩士
 幼名は休之進、通称は弘
 18才で脱藩
 諸藩の志士と交遊
 後藤象二郎の知遇を得て英国に留学
 帰国後
 宇和島藩
 伊達宗城に招かれ仕えた
 滋賀県知事・元老院議官・京都府知事
 等を歴任
 詩文を能くした。明治27年(1894)歿、57才
 ↓↑
 中井 弘(なかい ひろし・ひろむ)
 天保9年十一月二十九日(1839年1月14日)
 〜
 明治27年(1894年10月10日)
 薩摩藩士
 外交官、政治家
 号は桜洲(桜州山人)・・・桜島のある国?
 別名
 横山休之進、鮫島雲城、後藤休次郎
 田中幸介、中井弘蔵
 鹿鳴館の名付け親
 著書に
 『合衆国憲法略記』
 『西洋紀行航海新説』・・・・・?
 『魯西亜土耳其漫遊記程』・・・?
 明治の怪傑、奇人、滑稽家
 ・・・「西洋史」を研究した人物・・・鹿児島人・・・
 ↓↑
 桜島
 古代に「鹿児島」と呼ばれていた
 1334年(建武元年)
 頃の記録では
 「向嶋」と呼ばれ
 1476年(文明八年)以降
 「桜島」の名称が記録に現れ
 その後
 「向嶋」と「桜島」の名称が併存
 1698年(元禄十一年)
 薩摩藩の通達で
 桜島の名称に統一
 「向嶋」の名称は
 東西南北どの方向から眺めても
 こちらを向いているように
 見えることに由来
 御岳は
 「筑紫富士」とも
 ↓↑
 「桜島」の名称由来
 三説
 島内に
 木花咲耶姫命を祭る神社が在った
 島を「咲耶島」と呼んでいたが
 転訛して「桜島」となった
 『麑藩名勝考』『三国名勝図会』
 10世紀中頃
 大隅守を勤めた
 桜島忠信の名に由来
 ↓↑
  桜  島  忠 信
 (さくらじま ただのぶ)
 平安時代中期の官人
 姓は宿祢
 官位は外従五位下・大隅守
 姓は櫻嶋
 文章生
 大学寮の
 字(あざな)では
 櫻藝と称され
 文章生の年長者としての堂監を務めた
 4年にわたり堂監
 除目で任官の機会に恵まれず
 一方で大学寮に属していない者が
 財力を背景に
 文人職を得
 憂いた忠信は
 官位の売官が横行していると
 批判し
 官吏社会の腐敗を鋭く諷刺した
 落書を出した
 本朝文粋には
 『桜島忠信落書』として収録
 この落書によって
 忠信の大隅守が決まった・・・
 ↓↑
 大隅守となった忠信は
 在庁官人らの職務怠慢を糾問するため
 郡司を召した
 白髪の翁が出てき
 白髪の翁を見て憐れに思った忠信は
 翁に一首詠ませた
 『老いはてて
  雪の山をばいただけど
  霜と見るにぞ
  身はひえにけり』
 と返した
 忠信は、翁の罪を赦した・・・
 逸話は
 『今昔物語集』
 『宇治拾遺物語』
 にも収録
 地名の桜島は忠信の姓から由来・・・
 『麑藩名勝考』
 ↓↑
 海面に
 一葉の桜の花が浮かんで「桜島」ができた・・・
 『麑藩名勝考』
 ↓↑
 犬上県(いぬかみけん)⇔長浜県
 1872年(明治四年)
 近江国北部を管轄するために設置
 滋賀県北部や東近江市の大部分
ーーーーー
 ・・・???・・・
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