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2019年11月02日20:58

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(2015年)10月後半 SDD発表会〜Jack長崎さんソロ〜野口★健withトシバウロン〜たまみかずみ

夕張出張後に円山夜想を訪れてから3日勤務した後の週末,まず(2015年)10月17日(土)は札幌ダルシマー同好会発表会のため恵みキリスト教会を訪れました。

札幌ダルシマー同好会(通称SDD)や札幌カンテレクラブの発表会は,他の用がなければ行くようにしていて,2009年4月から2012年7月までの札幌勤務の折はアミカに複数回足を運んだと思います。

道南にいる間は来ることはできなくて,この時は3年以上ぶり,会場の恵みキリスト教会は初めてだったのではないかと思います。

そもそも札幌ダルシマー同好会との名称は,第1回の発表会を琴似のヨーカドー内の公共スペースで開催するに当たり,何でもよいから団体名が必要だとのことで名付けたということのようです。その際に札幌在住やダルシマー演奏の有無を問わず会員を募ったところ,多数の加入を得たようで,道外のダルシマー演奏者やあらさんのお名前なども目にした記憶があります。

ダルシマー同好会の発表会は,アミカの他でも発表され,中には自力で行くのが難しそうな場所もありましたが,最近は中島公園近くの恵みキリスト教会が定着しているようです。私が訪れたのはこの時が初めてだったと思われ,休日のこととて当時の住まいから自転車で向かいました。

この時のことを振り返ると,信山社から出た上下巻の専門書のことが思い出されるのは,この時に途中のジュンク堂で購入したからだったのではないかと思われます。

この時点でも発表会は何年かにわたり聴いていましたが,最初の頃からずっとお出になっている方々もあり,篠路の方々など毎回絵本の朗読など工夫を凝らされ,こうした方々がダルシマー文化振興の草の根を支えておられるのだと思うのでした。

この日お出になっていたか確認できませんが。郷先生は参加者の中でも最上級者クラスで,健さんがもう教えることはないとおっしゃるほどの技術でダルシマーも最新モデル,,聴いていてもプロの演奏家並みと感じられます。

やはりこの時だったかどうかはわかりませんが,萩岩さんが遠路お見えになっていたこともありました。

好天に恵まれ,後に知ったところによると,発表会終了後も中島公園に場所を移して屋外でのセッションが繰り広げられたようでした。

その翌日(2015年)10月18日(日)は,ジャック昼下がり長崎さんソロの後,野口★健withトシバウロンの北海道ツアー初日ののやというスケジュールとなりました。

野口★健の北海道ツアーは早い時期からアナウンスされていて,9月のオオフジツボ終演後に健さんに当別から送っていただいた時だったでしょうか,最初の頃に速報されたスケジュールに修正があったことを受けて,10月23日(金)はオフになったことでよいのかとお尋ねした記憶があります。健さんは一瞬慌てたようでもありましたが,知床から戻る日で大変だから空けることにしたんだったかなと我を取り戻しておられました。

道南にいる間は機会がなかった気がするので,この時点での長崎さんソロは初めてかかなりお久しぶりだったのではないかと思います。長崎さん御自身もソロライブはお久しぶりだったのか,その頃のアコーディオン演奏経験からなる総括的なお話をしてくださいました。

当時自分が書いたものを見返すと,「練り歩き演奏」,「目が笑っていない」,「口が渇く」,「着崩れ問題」などとMCのキーワードをメモしています。おそらくレストラン等の店内を練り歩く営業演奏などで口角を上げて歯を見せ笑顔を作るので口が渇き,真剣に演奏するところから余裕がなく目が笑っていないといったお話があったのだろうと思います。着崩れ問題は,身体の凹凸がアコーディオンにフィットしないため,練り歩き演奏をすると衣装が乱れるといった御苦労の話だったのではないでしょうか。

実際に歯を見せ固まった笑顔を作ってジャックの店内を移動し,お客に目を合わせてきたので笑いをこらえた記憶があります。

曲目の方はもはや記憶が怪しいですが,当時書いたものによると,フンデルフッペでしたか,ビロビジャンではダルシマーに合わせたコードで弾いていたのを本来の姿で演奏するなどあったようです。

また,私はバッグのストラップの金属が摩耗で外れてしまい,のやに行く前に急きょヨドバシカメラに寄ってPCバッグコーナーで似た形のものを買うという一幕がありました。書籍類の買物などで重たくなったのを肩にかけていることが多いですから,私が鞄類を買い替えるのはたいていストラップが取れてしまったことによります。
そんなわけで,のやにはヨドバシカメラの大きな袋を持参する不審者のような事態となりました。

さて,野口★健withトシバウロンですが,健さんトシさんは言うまでもなく親しんできましたし,野口さんはそれまで3度ほど拝見の機会がありました。ホイッスルや言わずとしれた中津井さん製作のイリアンパイプスが知られていますが,東京方面の「花子とアンからマッサンへ」などでの共演された健さんは,上述の車中でピアノやアレンジが天才的だと激賞しておられました。
以前にも書きましたが,私のこの時までの野口さん経験をもう一度記しておきます。

2013年6月だったと思いますが,蒲田教会でリサ&ノエル夫妻のライブ終了後のセッションで,野口さんはイリアンパイプスをお持ちではなかったのですが,居合わせた中原直生さんのパイプを装着しようとして,あまりの胴回りの違いに断念されていたということがありました。

その次は,2013年10月,JJFの年間感謝祭の日の昼下がり,サンダルキッチンと名が変わった後,今はどうなっているのか,当時のマドホッグキッチンでした。
今は途絶えてしまったのでしょうか,阿佐ヶ谷ジャズストリートの期間中,マドホッグキッチンで2日間にわたりアイリッシュセッションが繰り広げられるのが恒例だった時期がありました。
開場時刻に訪れた筈がまだどなたもおみえでなくて,演奏の方ですかなどとお店の人に言われてしまったのですが,私の次においでになったのが野口さんでした。この頃は髪も短く年齢相応のお若い風貌だったのが,野口★健の頃になるとひげを蓄え長く伸ばした髪を後ろで束ねたカリスマ的なお姿になられたのでした。胴回りの方はいっそう太くなられたかもしれませんが。
マドホッグキッチンの顔ぶれは野口さんのほか,中藤さん下田さん梅田さんだったでしょうか。梅田さんは事前のアナウンスがなく,もう北欧行きの前にはお会いできないのかと思っていたので嬉しかったのを覚えています。
私は食べませんでしたが,中藤さん以下御出演の方々は,阿佐ヶ谷名物らしきイカのカラスミを使ったものか,黒いルーの文士カレーを食しておられました。
中藤さんが野口さんに夜のジョンジョンには行くのかとお尋ねになると,野口さんはなぜかオネエ言葉となり,洗濯物をたくさん干さなければならないのでというようにおっしゃっていた気がします。

2014年3月の上京時には仙川で「野と花」を鑑賞しました。JJF活動休止が発表になっていた時期です。この時はトシさん中藤さんゲストだった須貝さんとは言葉を交わしたのですが(須貝さんとはこの時初めて),野口さんとは全く御挨拶せずに終わった気がします。風貌の方は既に野口★健状態となり,会場のピアノを弾いておられました。

それから約1年半,今回の北海道ツアーはピアノのある会場を厳選して1週間以上にわたります。

この日は野口さんはイリアンパイプスもお持ちでしたが,多くの曲はピアノでした。
イリアンパイプスはプラクティスセットで,ハーフ,スリークオーター,フルセットだとリードの調整が難しいといった事情からでしょうか。イリアンパイプスはそれほどにデリケートな楽器のようです。マドホッグキッチンで,野口さんがパーツを外してリードをいくつか露出させた様子を見て,中藤さんが見つめ,「面白いと思って」とおっしゃっていたのを思い出しました。

この時期ののやではまだ打ち上げがあったようで,終演後には打ち上げも催されました。
オオフジツボの時には皆さんその日のうちにお帰りでしたし,8月に戻って以来,のやでの打上げに初めて出席し,自転車だったので終電を気にする必要もない好条件だったのですが,トシさんと野口さんがお風邪を召して万全ではなかったので,早めにお開きになりました。お三方のうちこの日の運転手役はじゃんけんか何かで野口さんに当たっていましたが,見るからにお顔色が悪くて心配され,ツアー中の御快癒を祈ったものでした。

翌(2015年)10月19日(月)の野口★健withトシバウロンはなまらやでした。仕事帰りにJRで南小樽駅に向かいます。道南時代に先立つJJFとあらさんなどの折は小樽駅から往復して訪れたことしかなかったのですが,この年9月のオオフジツボの時に,南小樽の方が近く,打上げでも終電まで若干長く粘れることを学んだばかりでした。

トシさんや野口さんの御様子も前日よりかなりよくなられたようでした。
曲目の方も前夜にはなかった高速ポルカなど,2日目から早くもツアー中の進化が感じられます。
打上げは例によって多種大量の美味なお料理の数々,終電の時間に合わせて23時近くに失礼したのだったと思います。

翌日の火曜日からは健さんトシさん野口さんは鹿追,釧路,知床第一ホテルと回られ,知床からお帰りの金曜を挟んで(2015年)10月24日(土)は厚別のこと葉,翌25日(日)最終日はじょじょと続きます。

その間の(2015年)10月20日(火)は仕事帰りに琴似のラジレコに行きました。
今井さんとよこたにさんのたまみかずみでした。
平日の鹿追にはさすがに行くことができないのでちょうどよかったです。
ラジレコの正式名称はRadio & Recording〜といった長いものだったと思います。私が道南にいる間にあらさんがお出になるなどして店名はかねて見聞きしていましたが,初めて訪れる機会を得ました(そして2019年10月まで,訪れたのはこの時だけです。)。

ゆとりをもって到着できたのですが,私の後からも,操さん星さん高倉さん来道中だった山口智さん中村会子さん桑島さん泉夫妻らが続々と訪れてきて,皆さんこのライブに注目しておいでなのだなと錚々たる皆さんと心がひとつになったような嬉しさを覚えました。前夜なまらやにもいらっしゃっていた上辻さんも再びお見かけした気がします。

たまみさんはフィドル,ヴィオラ,あるいは両方,よこたにさんは十数弦のカンテレを平置きされていたでしょうか。前半はそれぞれのソロ,後半にたまみかずみという進行でした。

何度も聴いてきた「ナポレオン」も,フィドル(たまみさん)との鍵盤ハーモニカ(よこたにさん)という編成は初めてでしたし,主に北欧関係の他ではあまり聴くことのない興味深い選曲がなされていたと思います。スカボロフェアやポルスカ曲ではたまみさんのレアなコーラスも聴くことができました。

ラジレコは演奏者側の一方の壁面がガラス張りで,そこからは綺麗なハーフムーンが見えていました。

それから私が水木金と勤務している間,健さんトシさん野口さんは釧路,知床第一ホテルと回われ,再び札幌に戻って(2015年)10月24日(土)は厚別のこと葉でしたが,この日は私は差支えで訪れることができず,翌25日(日)のツアー最終日じょじょとなりました。

道南時代の3年間は初めのころの藤野さんソロでしか訪れることができず、じょじょもまた約3年ぶりだったと思います。
藤野さんソロの時はS車でしたから、稲積公園からちょっとした道のりを歩いていくのは3年以上ぶりですが、かつての記憶が残っていて、さほど迷わずにすみました。
私には1週間ぶりの野口★健withトシバウロン。月曜のなまらやから中5日を経て、ライブの流れなど非常に滑らかになったと感じました。2日目のなまらやに始まったと記憶する高速ポルカも更に進化していいました。
あと、なまらや後の進化としては各会場ゲームミュージックファンも多くいらっしゃっていたことからか、BALTOがありました。
野口さんが加わられていることによりおいでになったと思われる,健さんやトシさん関係の現場ではお見かけしないようなゲームミュージック方面のお客が,初日,2日目よりも更に増えているように感じられ,そのことと関係があったのかもしれません。
思えばBALTOは2010年秋のJJF初北海道ツアー最終日の帯広、4日目にして初の選曲という形で聴いたのが最初でした。その後、2011年のJJF感謝祭では神永さんの尺八で聴きました。それを今回は野口さんのアイリッシュフルートで。それぞれに味わいが異なり,いつかまたこの曲をまた違った形で聴くことがあるだろうかと思いをはせたことでした。

この日のじょじょには、ほぼ臨月という女性客がおみえだった記憶がありますが,この方は後にひいらぎでお子さん連れのお姿をお見かけしたと思います。ライブ鑑賞に歴史あり。

終演後は1週間以上を共にした健さんと野口さんは感激の抱擁をされていました。野口★健withトシバウロンはこの後,翌2016年7月にも再び北海道ツアーをされます。

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