mixiユーザー(id:1762426)

2019年11月02日07:11

45 view

人生を旅する ジャー・ヒロー2

1980年代後半の雑誌インタビューより

中井 大学についていえば、生理的に大学の空間を拒否しちゃったというのか・・・。要するに助手になった途端、派閥がどうのとか、権力欲の渦に巻き込まれてね、それが基本的に耐えられなかったんですね。その頃、タジマハール旅行団というフリー・ミュージックのグループと出会って、彼らの自由でのびのびした生き方にショックを受けたことが大きかった。学問そのものは、僕は今でも大好きですよ。ただ、日本の大学の場合は、学問ごっこをしているにすぎないということに気づいたので・・・。

WN いや、そういうことではなく、中井さんが、いつ研究者からフォトグラファーになってしまったのか、いつからレゲエの伝道者になってしまったのか、きっかけがなんなのか僕にはわからないわけです。アマチュアとプロとの端境には、かなり厳密な違いがあると僕は思うんだけど、外面的にみるとあなたは、いともたやすくその境界を越えてしまっているところがあるでしょう。もちろん、経済的に成立しているかどうかは別問題として、どんな仕事をやってもプロとしての批評基準をクリアするものを創るのに、ではなぜ、写真なら写真を一生懸命やろうとしないのか、ということなんです。

中井 僕自身にもわからないことですね。撮り始める前に、人間そのものに接することがきつい時期があって、その頃、洋書屋さんでみた古い写真集がひとつの契機になっているんだけれども・・・。1900年代の娼家の女の子を撮った写真集で、そこから伝わるものが、何か幸せなやわらかい感じでね。写真を撮ること自体は、大学時代に写真部にいたから、すぐに取り組めたんだけど、その写真集をみてからは、逆に今の写真が人間を感じさせないことに気づいたわけですよ。いろいろなタイプの写真をみてきて、デザインとしてみれば、どんなものも構図として撮れるんじゃないかとか、真っ暗なところで長時間露出したら、光が再現できるんじゃないかとか、今の写真の物足りなさと裏腹に気づいたのね。フォルムではなく、風とか空気とか臭いとかをフーと感じるようなとき、それを早いスピードでバシッと止めないで、あるがままに捉えていいんじゃないかと・・・。現実の景色の中で、見落としているものがいっぱいあって、それをひとつずつ自分で検証しながら撮っているところはありますね。

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する