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2019年11月01日06:50

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映画「カッコーの巣の上で」往年のメンヘラたちに愛の手を。

淫行罪で刑務所に入れられ懲役を食らっていたマクマーフィは、所内で問題を起こして精神病棟に措置入院させられる。そこは日本でいえばかつての宇都宮病院のようなところであった。権力者が病院であれば、それに対峙するのは患者たち。マクマーフィは懸命になって病院の管理体制に食い下がる。その権力者のシンボルが看護婦長。患者たちを単なる生き物としか見ていない怜悧な態度で任務を遂行する。

ある日、レクリエーションの最中にマクマーフィはワールドシリーズを観たいと提案するも多数決でボツ。婦長の意向は他の患者たちにも影響力と無言の圧力を敷いていた。自由をより望んでいたマクマーフィは患者たちを引き連れバスに乗り、釣りに行く。このシーンがいかにも自由感が横溢した名シーンの一部になって残っている。だが、こんなことさえ病院という権力者側からは疎んじられ、懲罰の対象と化す。

精神科病院なる権力者とそれに抗えない患者たち。マクマーフィは詐病でこそあれ患者の一人として員数内に属している。筆者も三か月ほど、まあ緩い精神科病棟に入院したことがあるが、ちょっとした患者の不手際により。閉鎖病棟に入れられてしまう機会には何度も遭遇した。

チーフは聾唖(ろうあ)者で通っていたが、マクマーフィにだけは実はそうじゃなく、耳も聞こえれば口も利けると打ち明けた。ふたりだけの内緒ごとである。ほかにビリー。かれはクリスマスパーティーの晩にマクマーフィの呼んだ女の子とエッチをするが、その事実が院内で漏れ、やがて自死にとつながる。

大男のチーフは次第にマクマーフィに精神的依存を示すようになる。が、マクマーフィは前のクリスマスパーティの一件でロボトミー手術を受けさせられるようになり、チーフの問いかけにも覚束ない体となる。そんなマクマーフィを楽にさせようとチーフは枕でマクマーフィの口を覆い窒息死させる。そして洗面台か何か大きなものを持ち上げて窓を割り院外へと逃亡する。

バスで釣りに出かけた時のジャックニコルソンの目の輝きが、三十年以上たった筆者の脳裏にはいまだ残影として保たれている。自由は何かから逃げることだとは一概には言えない。それでも、権力者に立ち向かうことが不利となる場合には「逃げ」も一つの選択肢となろう。冷酷な精神病棟での体験は知るものをしてのみ理解可能となる。
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