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2019年10月29日23:28

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数千年前から我々の先祖が戦った相手

我が国の古代史では、以前は、

「日本列島で縄文人が狩猟や採取で
 暮らしていたところに、
 紀元前200年頃に大陸から
 膨大な渡来人が押し寄せ、
 稲作や弥生式土器、金属器を伝え、
 弥生時代が始まった」

という「常識」があったわけですが、
現在は完全に覆され、否定されています。

そもそも、多数の渡来人が来たという
事実がありません(精々、年に数家族程度)。

さらには、縄文時代から「稲作」は
行われていました
(水田ではありませんでしたが)。

水田方式の稲作にしても、
紀元前900年前後に北部九州
(菜畑遺跡など)で始まっていたことが
明らかになっています。

しかも、
水田跡が発掘されている遺跡であっても、
普通に縄文式の器物が見つかります。

つまりは、縄文人⇒弥生人という区分自体が
間違っており、我々の先祖は
紀元前1000年頃から、水田稲作を
少しずつ、地域ごとに異なるタイミングで
受け入れていった、というのが真実です。

ちなみに、関東で水田稲作を初めとする
弥生文化が浸透するまで、菜畑の時代から
700年〜800年もかかっています。

縄文式の熱帯ジャポニカ米を畑に撒く
方式よりも、水田で温帯ジャポニカ米を
育てる方が、圧倒的に生産性が高い。

それにも関わらず、なぜ我々の先祖
(縄文人)は、なかなか水田稲作を
受け入れようとしなかったのでしょうか。

一つの仮説ですが、水田稲作は
「灌漑設備」が必要になります。
灌漑設備は個人や家族単位では
建設できませんので、どうしても
「大組織」が必要になります。

また、水田稲作で生産性が高まると、
次第に「農業に従事しない階級」が
生まれます。灌漑建設などを組織する
「指導者階級」ですね。

さらには、組織をもって土地を開墾し、
水田施設を建設すると、「我々の田んぼ」
という意識が強まり、人間は土地に
執着しがちになります(当然ですね)。

そして、水田稲作に必須の「水」という
リソースをめぐり、「勢力」と
「別の勢力」との間に「権益」争いが
発生します。

結果的に、何が始まるのか。
そう、戦争です。
日本を代表する考古学者である
故・佐原真氏は、日本では弥生時代から
組織的戦争が始まったと主張されて
いましたが、正しいと思います。

つまりは、縄文時代の先祖にとって、
大陸由来の「水田稲作」「人々の組織化」
「水利権」「土地の私有」といった
弥生文化は、現在の我々にとっての
「グローバリズム」と同じだったのでは
ないかと思うのです。
だからこそ、できるだけ忌避しようとした。

結果、各地で縄文文化の人々の抵抗が続き、
全国的に水田稲作が広まるまで1000年
近い歳月が必要だったのではないかと。

1543年のポルトガル人の種子島漂着を、
「日本にグローバリズムが押し寄せた瞬間」
と定義していますが、実際にはそれ以前から、
日本人は「外国」からの文化的な影響を
受け続け、可能な限り取捨選択し、
足掻き続けてきたのでしょう。
それこそ、縄文時代から。

無論、争いが少ない代わりに、
生産性が低い縄文時代に戻るべきだと
言いたいわけではありません。

単に、現在の我々が「グローバリズム」
という疫病に苦しめられているのは、
数千年前の先祖と同じと主張したいだけです。

我々の先祖も、大陸から次々に押し寄せる
「文化的な疫病」に苦しみつつ、
何とか生き延びる道を探り、
結果的に現在の日本国民がいるのです。

上記を理解すると、今の我々が「子孫」の
ために何をしなければならないのかが、
はっきりと見えてくるはずです。
日本的な要素を守りつつ、
文明を「生存」のために進化させ、
国民が幸福に暮らせる道を探る。
それこそが、我々の御先祖様が
苦心しつつも辿り続けた道なのです。
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