2794日目からのツヅキ・・・延命=エンメイ=艶名・円名・・・
円珍(常用漢字)
圓珍(旧字体)
圓珎(古文書、古記録表記)
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円珍(えんちん)
弘仁五年三月十五日
(814年4月8日)
〜
寛平三年十月二十九日
(891年12月4日)
天台宗の僧
天台寺門宗(寺門派)の宗祖
諡号は智証大師(智證大師)
入唐八家
(最澄・空海・常暁
円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)
の一人
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弘仁五年(814年)
讃岐国(香川県)
金倉郷に誕生
多度郡
弘田郷の豪族
佐伯一門
俗姓は和気
字は遠塵
空海(弘法大師)の
甥(もしくは姪の息子)
生誕地は
善通寺付近
15歳で比叡山に登り
義真に師事
12年間の籠山行
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承和十二年(845年)
役行者の後を慕い
大峯山・葛城山・熊野三山を巡礼
修験道の発展に寄与
承和十三年(846年)
延暦寺の学頭
仁寿三年(853年)
新羅商人の船で入唐
途中暴風で
台湾に漂着
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天安二年(858年)
唐商人の船で帰国
帰国後しばらく
金倉寺に住み、寺の整備
後
比叡山
山王院に住し
貞観十年(868年)
延暦寺
第五代座主
園城寺(三井寺)を賜り
伝法灌頂の道場とした
比叡山を山門派が占拠し
園城寺は
寺門派の拠点となった
寛平三年(891年)入寂、享年78歳
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円載(えんさい)
生年不詳〜元慶元年(877年)
平安時代前期の
天台宗の僧
出身は大和国
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日本天台宗の祖
最澄に師事
838年(承和五年)
天台座主
円澄
の天台宗義に関する
疑問50条を携えて
唐に渡った
天台山
広修・維蠲(いけん)の
「唐決」を得て弟子の
仁好(にんこう)
に託して日本に送った
その後も唐に残り学識を持って
宣宗の帰依を受け
855年(斉衡二年)
円珍とともに
長安
青龍寺法全(はっぜん)から灌頂を受けた
この間
日本の朝廷から2度にわたり
黄金の送金を受けた
864年(貞観六年)
真如法親王(高岳親王)
宗叡
が長安に到着
在唐30余年になる
円載の手配により
長安西明寺に案内された
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877年(元慶元年)
日本へ帰る途中
船が難破
遭難死
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「破戒僧」
唐に滞在している間
破戒悪行
円珍「行歴抄」
円載との確執が描写
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円載は
唐滞在中に
会昌の廃仏に遭遇
他の多くの僧と同様に
強制的に還俗させられ
妻子も持った
これが
「破戒悪行」
として日本に伝わった・・・
同時期に唐に滞在していた
円仁も同様に還俗させられた
円仁が
再度剃髪したのは帰国する直前のことで
円仁は
円載とちがって
無事帰国
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円融・圓結
エン・イン
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円融
仏語
それぞれの事物が
その立場を保ちながら一体であり
互いにとけ合って
障りのないこと
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円融天皇
959年4月12日
〈天徳三年三月二日〉
〜
991年3月1日
〈正暦二年二月十二日〉
第64代天皇
在位
969年9月27日
〈安和2年8月13日〉
〜
984年9月24日
〈永観2年8月27日〉)
諱は守平(もりひら)
村上天皇の第五皇子
母は右大臣藤原師輔の娘
中宮安子
冷泉天皇の同母弟
中宮安子
所生の3番目の皇子
・・・参考原文は
「ウィッキペデア」・・・
ーーーーー
???・・・
ホウケイ・□■・・・エンケイ・○●・・・
サンカクケイ△▼・・・V・・・
・・・形象・・・「ハ・丷」・・・
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