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2019年10月12日16:50

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もじたま日記・2794日目からのツヅキ・・・延命=エンメイ=艶名・円名・・・

 2794日目からのツヅキ・・・延命=エンメイ=艶名・円名・・・
フォト

 円珍(常用漢字)
 圓珍(旧字体)
 圓珎(古文書、古記録表記)
 ↓↑
 円珍(えんちん)
 弘仁五年三月十五日
 (814年4月8日)
 〜
 寛平三年十月二十九日
 (891年12月4日)
 天台宗の僧
 天台寺門宗(寺門派)の宗祖
 諡号は智証大師(智證大師)
 入唐八家
 (最澄・空海・常暁
  円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)
 の一人
 ↓↑
 弘仁五年(814年)
 讃岐国(香川県)
 金倉郷に誕生
 多度郡
 弘田郷の豪族
 佐伯一門
 俗姓は和気
 字は遠塵
 空海(弘法大師)の
 甥(もしくは姪の息子)
 生誕地は
 善通寺付近
 15歳で比叡山に登り
 義真に師事
 12年間の籠山行
 ↓↑
 承和十二年(845年)
 役行者の後を慕い
 大峯山・葛城山・熊野三山を巡礼
 修験道の発展に寄与
 承和十三年(846年)
 延暦寺の学頭
 仁寿三年(853年)
 新羅商人の船で入唐
 途中暴風で
 台湾に漂着
 ↓↑
 天安二年(858年)
 唐商人の船で帰国
 帰国後しばらく
 金倉寺に住み、寺の整備
 後
 比叡山
 山王院に住し
 貞観十年(868年)
 延暦寺
 第五代座主
 園城寺(三井寺)を賜り
 伝法灌頂の道場とした
 比叡山を山門派が占拠し
 園城寺は
 寺門派の拠点となった
 寛平三年(891年)入寂、享年78歳
ーー↓↑ーー
 円載(えんさい)
 生年不詳〜元慶元年(877年)
 平安時代前期の
 天台宗の僧
 出身は大和国
 ↓↑
 日本天台宗の祖
 最澄に師事
 838年(承和五年)
 天台座主
 円澄
 の天台宗義に関する
 疑問50条を携えて
 唐に渡った
 天台山
 広修・維蠲(いけん)の
 「唐決」を得て弟子の
 仁好(にんこう)
 に託して日本に送った
 その後も唐に残り学識を持って
 宣宗の帰依を受け
 855年(斉衡二年)
 円珍とともに
 長安
 青龍寺法全(はっぜん)から灌頂を受けた
 この間
 日本の朝廷から2度にわたり
 黄金の送金を受けた
 864年(貞観六年)
 真如法親王(高岳親王)
 宗叡
 が長安に到着
 在唐30余年になる
 円載の手配により
 長安西明寺に案内された
 ↓↑
 877年(元慶元年)
 日本へ帰る途中
 船が難破
 遭難死
 ↓↑
 「破戒僧」
 唐に滞在している間
 破戒悪行
 円珍「行歴抄」
 円載との確執が描写
 ↓↑
 円載は
 唐滞在中に
 会昌の廃仏に遭遇
 他の多くの僧と同様に
 強制的に還俗させられ
 妻子も持った
 これが
 「破戒悪行」
 として日本に伝わった・・・
 同時期に唐に滞在していた
 円仁も同様に還俗させられた
 円仁が
 再度剃髪したのは帰国する直前のことで
 円仁は
 円載とちがって
 無事帰国
 ↓↑
 円融・圓結
 エン・イン
 ↓↑
 円融
 仏語
 それぞれの事物が
 その立場を保ちながら一体であり
 互いにとけ合って
 障りのないこと
 ↓↑
 円融天皇
 959年4月12日
 〈天徳三年三月二日〉
 〜
 991年3月1日
 〈正暦二年二月十二日〉
 第64代天皇
 在位
 969年9月27日
 〈安和2年8月13日〉
 〜
 984年9月24日
 〈永観2年8月27日〉)
  諱は守平(もりひら)
 村上天皇の第五皇子
 母は右大臣藤原師輔の娘
 中宮安子
 冷泉天皇の同母弟
 中宮安子
 所生の3番目の皇子
 ・・・参考原文は
 「ウィッキペデア」・・・
ーーーーー
 ???・・・
 ホウケイ・□■・・・エンケイ・○●・・・
 サンカクケイ△▼・・・V・・・
 ・・・形象・・・「ハ・丷」・・・
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