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2019年10月08日10:21

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兄 と 弟 の 間柄

             (2019年10月8日)

 男同士の言い分、兄、弟としての立場、家族親戚、周りから二人を見る目に感じる違いを受けとめ 進むべき方向を自分で決断する。男に限ったことではないけれど感じることがある。周りが自分を見る目と自分自身が見る自分と格闘しながらも兄は兄として弟を導かねばならない義務感を感じた。父親から見た兄(長男)は一人前であり、指図せずとも生きていける存在。だが次男は十代で母を亡くした不憫さもあって長男から見れば自分には厳しく弟への接し方が甘く見えたのかもしれない。父に同行して初めて東京へ出かけた弟は 仕事柄必ず歌舞伎座公演見物を欠かすことのない父と一緒に寸暇を惜しんで一幕見物を追加したことが一生の思い出だったのだと思います。その父親死亡後は兄がしっかり厳しく育ててくれたおかげで分家の店を開店できました。仕事上では兄を尊敬していました。が人形芝居に関しては兄に毅然と立ち向かい自分の意思を曲げませんでした。人形芝居は時の流れとともに廃れてしまいましたが たまに大きい公演を依頼されると弟の腕がなければ始まりません。兄の息子さんがいつも弟(叔父になります)に今回だけお願いします。と何度も説得して渋々ながら出演したのです。兄 と 弟 どっちにも言い分がありますが私はやっぱり弟(私の父)に軍配をあげます。(父の気もちをたった1度聞いたことがありました)
行き違いはあっても断絶ということではなく、兄さんは弟の家を時折訪れていました。ただ兄の姿を見つけると弟はさっさと雲隠れして一緒にお茶を飲んだ姿を見たことがありません。母が二人の間を取り持ち通訳しているような感じ。兄の息子さん(弟から見れば甥っ子)は兄以上に手広く商売繁盛しました。ご隠居の兄は骨董品集めが趣味で掛け軸などわが家にもいただきました。青砥清左衛門の筋書きの掛け軸だけ覚えています。兄は97才 弟は91才で亡くなりました。兄はほんとは仲良くしたかったのだと思います。私のせいで弟(父)が 兄に怒られたことその瞬間だけ覚えています。近くの小学校での公演だったので私を連れて出かけた父ですが 何もわからずやることもなく私は音が聞こえる公演中の舞台に飛び出したのです。 4,5才の頃でした。
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