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2019年09月22日13:59

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竹村牧男さんの『西田幾多郎と仏教』『西田幾多郎と鈴木大拙』

今のマンションに越してきて以来、竹村牧男さんの『西田幾多郎と仏教―禅と真宗の根底を究める』『西田幾多郎と鈴木大拙―その魂の交流に聴く』(いずれも大東出版社)が読みたくなってたまらなかった。

この竹村牧男さんの『西田幾多郎と仏教』『西田幾多郎と鈴木大拙』の二冊は、以前持っていた書籍であり、もう読みたくなることはあるまいと思って手放した書籍である。来月、消費税が上がるこの時期にもう一度購入する決意をして、ジュンク堂書店大阪本店に取り置きを依頼した。

しかし西田幾多郎における宗教哲学的思索、いや西田哲学という思索そのものは、禅仏教と浄土教仏教によって深化してきたもので、その深化は禅仏教から浄土教仏教へ、時には時間的平行的にに、時には垂直的に深化してきたものではないかと考えるのである。

たとえば、西田幾多郎の最晩年の�犁嫗弍�と平常底�瓩箸い�思索についても�犁嫗弍��瓩箸録世反祐屬隆愀言�、人間から神へという方向ではなく、神から人間へという方向でのみ信仰が成立するという思索はまさしく�狢称亙�教�瓩両�土真宗的思索であり、�猜疹鐵讚瓩箸い�信仰の在り方も、禅仏教でいう�猜疹鐃喚瓩任△蠅覆�ら、その�猜疹鐃喚瓩眇祐岼貎佑任覆憩世襪發里任呂覆�、どこか�狡怯杣圓吠�かれる�瓩箸いΔ箸海蹇↓狡讚瓩砲�いて成立してくるという思索に、わたしは、西田幾多郎における禅仏教と浄土教仏教の関係性を見出すのである。

西田幾多郎の商況哲学的思索、いや西田幾多郎の思索に最も強く影響を与えたのが、親友・鈴木大拙であったことは言うまでもない。最近、わたしは『日本的霊性』を中心とした鈴木大拙思索に関心を持っているのであるが、その鈴木大拙も『日本的霊来』を日本精神史として書いたであるが、日本的精神の完成は、鎌倉期における法然・親鸞の出現を待たなければならなかったといい、鈴木大拙の�狒記瓩蓮�極めて�狄申‥�禅�瓩箸任發いΔ戮�性質を持っていた。晩年の鈴木大拙が�猝�好人�瓩亡愎瓦鮖�ったのも、やはり鈴木大拙の精神的支柱には浄土真宗の信仰があったのであろう。

鈴木大拙が『日本的霊性』を上梓した昭和十九年の大谷大学は、真宗学を中心に軍国主義化していったなかで、古事記や日本書紀ではなく、鎌倉期の法然・親鸞に日本精神の完成を見た『日本的霊性』を上梓したことは、ある意味で学問の�猗鸚�治性�瓩△襪い廊狎�治的公平性�瓩魄嫐�すると、わたしは考えるのである。そしてそのような鈴木大拙の思索を考えるうえでも、やはり西田幾多郎との思想的交流を知っておく必要があるのである。

そのような西田幾多郎と鈴木大拙、あるいは仏教との関係性を、もう一度竹村牧男さんの『西田幾多郎と仏教』『西田幾多郎と鈴木大拙』から読み直してみたいのである。消費税が上がる前にこの二冊は入手しておきたい。

今月の書籍購入費は3万円を超えてしまった。
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