mixiユーザー(id:65933753)

2019年09月14日18:14

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心を寄せた結果が、「もし自分が被災者だったら、へこへこへつらってくる人間に向かって水浴びの中止を要求する」卑しさの発露になるとはねえ。

「自粛しても意味がありません」 千葉市長の毅然としたクレーム対応に称賛の声
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=85&from=diary&id=5786180


そんなことでインネンつけてくるくらいだから、精神疾患の1つや2つ抱えているんか?って精神科紹介してやった方がいいんじゃないか。
安藤優子も、「到底なれないという気持ちの人はその気持ちを表してもいい」という自己満足を他人に押し付けてんじゃねえよ、って、FNNで他人によく言われなかったな。
https://sp.fnn.jp/posts/00048179HDK/201909131957_goody_HDK

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「忖度された被災者の意思」は不謹慎厨の「卑しさ」をそのままに表示することになる https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1971654665&owner_id=65933753&full=1


行為に対してその行為の意図を己の中での最も最悪なものと汲み取り、言い返されれば己の都合のいいものに永久に変換していく点では、ある意味加藤智大の系譜を歩いているといっていいだろう。指摘する理由が後付けになるということは、目的が逆転していることになる。
己の言説の正しさのために、己の頭の中の焦点の影法師である「他人」が精神的にさげすめられることを望み、精神的にさげすめられることに悦びを感じる倒錯的な人間に映る。

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「不謹慎厨」本人だけがなると思い込んでいる、不謹慎厨の焦点に描いた存在しない影法師が「精神的にさげすめられる認識」を抱くことが必要になり、その認識は不謹慎厨本人が「精神的にさげすめられるように振舞う」ことで得られるわけであるから、自ら阻害される振る舞いを続けるようになる。

そこに一般ユーザーのネチケットや言い方など、介在する要素はない。
それらを要求する振る舞いは、不謹慎厨に媚びへつらうように振る舞えと言っているのと同じことになる。

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”あなたは間違えてる”はだいたい”君の考え方が気に食わない”だし”あの人が傷ついているじゃないか”は”僕の気に入らないことをするな”だし、太宰治に言わせれば”世間が許さないのではなくて、それはあなたが許さないのでしょう”だろうと思う。
http://tamesue.jp/20150505/

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彼らには、わかりやすい外形的な特徴がある。
「首尾一貫性がない」ということ。

例えば、イギリスの国家意思自体は、国益の最大化という意味では首尾一貫している。
彼らは、「こんなことをしたら、かわいそうな被災者等が喜ぶかも知れない」と思って、走り回っている為に、動線には法則性がない。

何故ならば、彼らが「対象」と呼んでいるものは、彼らひとりひとりの頭の中に像を結んだ「幻想」でしかないから、となる。

「不謹慎厨が『被災者』だと思っているもの」こそが、不謹慎厨たちにとっての「被災者」でしかない。

「被災者」が直接こちらに「指示」を出しているなら、その指示は権威付けされ、どの施策も首尾一貫する。

対照的に、不謹慎厨にとっての「被災者の欲望と推定されているもの」は誰によっても権威付けされない。
なぜなら、「言挙げされていない」欲望に焦点化しているのだから。

「いや、殿、その先はおっしゃいますな。
何、こちらはちゃんと飲み込んでおります。
ま、どうぞここは、この三太夫にお任せください」

これがその本懐といってもいい。

「みなまで言わずと」的制止のあとに「殿の意思」として推定されるのは、多くの場合、「三太夫の抑圧された欲望」である。
三太夫は「私が殿の立場だったら、きっとこう考えるだろう」ということを推定する。

彼は、相手の欲望を読み取っていると思っている当のそのときに、「自分の欲望」を語る。

「せこい」やつが対象の意思を想定すると、対象は「せこい性格」を持ったものとして観念される。

不謹慎厨が「被災者の意思だと思っているもの」は、それぞれの
「もし自分が被災者だったら、へこへこへつらってくる人間に向かって何を要求するか?」
という自問への答えの部分でしかない。
ここまで、「そういうこと」と書いてきたのは言わずもがな「忖度」となる。

即ち「忖度された被災者の意思」は不謹慎厨の「卑しさ」をそのままに表示することになる。


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