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2019年09月10日19:28

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八戸へ・・・

 旅行の3日目、9月5日には、青森県の八戸に行きました。
 本当は、6月に行こうと思っていたのですが、
 指定席が思うように取れませんでした。
 出発はいつものように午前6時54分の宇都宮発朝一の下り新幹線です。
 八戸には、午前9時21分に着きます。
 観光案内所で、行き先のバスを教わりました。
 バス停に中心街行きのバスが停まっていたので、それに乗りました。
 案内所で教わった時刻よりも早く出発したので、
 あれ?と思って隣にいた小母さんに、
 これは田面木と言うバス停に行くかどうか訊いたところ、
 行かないと言われ、慌てて最初のバス停で降りました。
 そこでバスを乗り換えて、田面木に行き、さらに目的地へのバスに乗り換えました。

 向かった先は、櫛引八幡宮でした。
 南部藩の総鎮守とされている神社で、壮麗な社殿を有しています。
 それだけではなく、国宝の鎧を2領所蔵している神社でもあります。
 以前、日記に書きました古川古松軒も行っている神社です。
 古松軒は、江戸時代の旅行家で幕府の巡検使の随員として東国を巡り、
 「東遊雑記」を著しています。
 その古松軒も褒めている鎧ですので、是非見たいと思っていました。
 とても素晴らしい鎧でした。
 鎧の写真撮影は出来なかったので、下記の神社のHPをご覧下さい。
 古松軒の文章も載っています。
 http://www.kushihikihachimangu.com/treasure/
 なお、古松軒が新羅三郎義光の鎧としているのは誤伝です。
 その他、青森県内では一番古い洋館とされている「明治館」もあります。
 この建物は中を見る事は出来ませんでしたが、風格がありました。

 櫛引八幡宮のバス停で、またしばらくバスを待ちましたが、
 ベンチに座りながら、このような長閑な所で何もしないのも良いなぁと思っていました。
 次に向かったのが根城です。
 誰が読んでも「ねじろ」だと思うのですが、地元の方は「ねじょう」と読んでいます。
 本丸跡には、発掘調査の成果をもとに、
 安土桃山時代の根城の様子が復原整備されています。
 いわゆる天守閣のある近世城郭の以前の姿です。
 非常に正確に復原されていて、例えば厩には馬の模型が置かれていますが、
 これは発掘調査で出土した馬の骨を元に復原したとの事でした。
 それぞれの建物の内部には、当時の様子を人形などで示していて、
 とても良い施設だと思いました。

 根城からバスに乗りました。
 既に何歩位歩いたかと思って万歩計を見ようとして、
 家の鍵がないのに気が付きました。
 僕は、常にズボンの左側のポケットに鍵を入れています。
 登山で使うカラビナのようなアルミ製の輪に、他の鍵と一緒に付けています。
 ですから、それなりの重さもありますし、落としても音がするはずですが、
 それがありません。
 左側のポケットには、切符も入れていましたので、何度か出し入れをしました。
 その時に落としたのかと思いましたが、
 戻って探す訳にも行きませんので、そのままバスに乗っていました。
 帰宅して家に入るのは、
 秘密の場所に合鍵を入れてありますので、心配はありませんでしたが。

 乗ったバスの行き先には、中心街と書いてありましたので、
 てっきり中心街と言うバス停があると思いましたが、これがありませんでした。
 バス停の名称が二十三日町とか十三日町、三日町などとあって
 面白いなぁと思っていましたが、次第に中心街らしい賑やかな場所から離れて行きます。
 隣の座席の小母さんに、本八戸駅の近くは、どこのバス停が訊いてみたら、
 既に通り過ぎたと言われてしまいました。
 仕方なく慌てて下りて、バス停で3つほど歩いて戻りました。
 反対側のバスに乗らないのか不思議に思われる方もいるかも知れませんが、
 八戸の街のメインストリートは、3車線の一方通行になっていました。
 そのため、反対側のバスを探すよりは、歩いた方が早いかと思いました。
 家の鍵の件もあり、今日は厄日だなぁと思いながら歩いていました。

 予定していた、中心街付近に戻り、美味しい刺身の定食を食べてから、
 八戸に行く目的の一つだった、安藤昌益の資料館に行きました。
 安藤昌益は、ご存知でない方もいらっしゃるかと思いますが、
 江戸時代中期の秋田の大館出身の医者で、八戸で開業していました。
 思想的には無神論やアナキズムの要素を持ち、
 農業を中心とした無階級社会を理想としていた思想家でもありました。
 資料館のポスターには、世界初のエコロジストと書いてありました。

 僕は、学生時代にハーバート・ノーマンの著作で知りました。
 今回、八戸に行くのに当たって、この本を図書館で借りて再読しようと思いましたが、
 本が傷んでいて、借りるとバラバラにする可能性もあったので、止めました。
 ハーバート・ノーマンは、駐日カナダ大使を務めた人で、
 戦前戦後の知識人と交流がありましたが、ソビエトのスパイの疑いをかけられ、
 エジプトで自殺した人です。
 その「忘れられた思想家 安藤昌益のこと」は、岩波新書で出版され、
 大きな影響を及ぼした本だったと思います。

 資料館では、
 昌益を最初に見出した人が、旧制の第一高校の校長を務めた狩野亨吉であり、
 狩野は、大館の出身だったけれど、安藤昌益が大館出身と知らなかった事、
 昌益の著作「自然真営道」は、101巻93冊あり、
 そのほとんどが関東大震災で焼失してしまったが、
 一部借り出していた人があって残っている事などが分かりました。
 資料館で説明して下さった女性から、
 「男女」と書いて何と読むかと問題が出されました。
 昌益は、「ひと」と読むとしていたようで、
 男女の平等も唱えていたとの事でした。

 資料館を出てから、八戸城跡を見てから、本八戸から八戸に出て、帰って来ました。
 宇都宮に着いて、鍵の件があったので、弁当を買って急いで家に帰りました。
 家に着いて、玄関ドアを試しに開けたら、開きました。
 あれ?と思って確認したら、鍵もありました。
 要するに鍵をかけるのを忘れて出掛けてしまった事が分かりました。
 色々心配して損したと思いましたが、鍵があって良かったです。
 幸い、泥棒も入らなかったようです。

 今回も写真をアップしましたので、宜しければご覧下さい。
 http://photozou.jp/photo/album/2882708


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