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2019年09月08日21:49

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2週連続の「向羽黒山城」攻城

先週、久しぶりに会津美里町の「向羽黒山城」を訪問し、以前、回れなかった実城以外のところを歩き倒し、今週は実城と三日町大手道方面の曲輪を探索しました。

夏なのに主だったところの下草はきちんと刈られ、遊歩道も歩けるようになっている。
暑い中管理されている方々には本当に頭が下がります。

初めて訪れたときは家族同伴でしたので実城「一の曲輪」だけの登城になってしまい、他の遺構はパスしてました。
今回は一人でじっくりと麓から実城「一の曲輪」を堪能しました。

まず驚いたのは規模の大きさ、そして縄張りの巧妙さと迫力ある構造物。
城の南側から東側は160メートルを超える絶壁で守られており、西側から北側にかけては尾根続きだったり、緩い傾斜であることからこの城の弱点であることから、様々な防御施設が多く、今でもおおよそ目にすることができる。

特徴的なのは横堀が多用されていること、特に北曲輪、伝盛氏屋敷跡、二の曲輪、実城の横堀は規模も大きく迫力がある。
もう一つは主要部分には枡形虎口を用いていること、一の曲輪大手口と北曲輪の枡形虎口はすでに完成形に近く、三日町大手口、二の曲輪は虎口を連続させて防御制を強化している。

もしかしたら実城は古くから城が築かれていて、時代が下がるにつれて「詰めの城」として機能が変化し、徐々に西側から北側に普請が進み巨大化していったものと思われる。
今の遺構から考えると最盛期のこの城の中心は「二の曲輪」であろうかと思う。

向羽黒山城は言うまでもなく芦名氏が築いたものであるが、上杉氏が会津に入り、対徳川との有事に備えて手を加えたことも考えられる(根拠はありませんが・・・)。
北塩原村に芦名氏が対伊達氏対策で構築した「柏木城」があり、とても優れた遺構が残っている。
このことからも向羽黒山城と合せて芦名氏の築城技術水準の高さを窺い知ることができる。



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