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2019年09月02日15:59

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「苦労礼讃」にもの申す

そもそもなぜ「若い頃の苦労は買ってでもすべき」なのか?
それは「苦労すれば将来のためになる」という事なのだろう。

でもそこには穴がある。
それは「苦労(努力)する」という「原因」と、「将来ためになる」という「結果」に相関関係がある、という大前提のもとにこの論理は成り立っているという事だ。
「因果応報(行いと報いがリンクする)」が成立しないと「なんのことやら」なわけだ。

だが、日本人にとって因果応報の考え方は「蛇口から水が出てくる」というのと同じくらい、何の疑問も抱かない事だろう。


逆に、なぜ日本人は因果応報に疑問を持たないのか?
それは日本人が農耕民族だったからだろう。

農業というのは、地道な作業を続けなければならない。
しかも、農作物がすぐに収穫できるわけではないので「結果がすぐに出にくい」という特徴がある。
それだけ農業というのは、事前の(継続した)苦労の上に初めて結果が出るものなのだ。

つまり「すぐには結果が出なくても、苦労が実を結ぶ」というのは農業から生まれた概念なのだ。


逆に西洋の狩猟文化では、苦労と結果が必ずしもリンクするとは考えない。

勿論、狩りだって全く苦労が要らないわけではない。
日頃から体を鍛えたり、道具を手入れすることが必要だ。

しかし、狩りをするにあたって「事前の苦労」は必須ではない。
農業と異なり、その時だけ全力を尽くすだけでも成功できる。

むしろ動物が相手なのだから、用意周到に準備をしたって獲物に遭遇できなくて意味がない、ということも多分にあるだろう。

ましてや、西洋の思想の根底にある「一神教」は明確に因果応報を否定している。
旧約聖書の「ヨブ記」などその最たる例だ。
「人間の行動など微々たるもの。神の決定には敵わない。」というのが彼らの常識だ。


こうやって見てみると、日本人が妄信している「因果応報」は永久普遍の原理ではないことがわかる。

無論、何の苦労もなしにアスリートは金メダルを取れるわけではない。
だが、金メダルを取った(=世界一になった)アスリートが、世界で一番苦労したとは言い切れない。

大体、一般社会を見てみれば「因果応報」なんて大ウソだとわかる。
社会でいい思いをしている人間は、大抵先天的なもの(生まれ、才能、運etc)の力で成功している。
むしろ「苦労しなくてもいい」人生を歩んでいる連中だ。


それでも世の中が「自己責任」という言葉で脅して、苦労(努力)を強要するのは理由がある。
「苦労と結果は関係ない」という真実が浸透すれば、人も企業も無気力になる。
当然経済は衰退するわけで、税金で生活している「お上」にとって芳しくない事態なわけだ。

別に一神教に入信する気はないが、今の世の中「すべては神の思し召し」と言われた方がよほど納得できる。


「できる奴は最初からできる できない奴は最後までやってもできないんだ」
「困難に対して努力する奴はその時点で負け犬だ 至らぬ己と届かぬ己を認めてしまっている」
(「めだかボックス」第28箱より)



悔しいけどそれが現実。



■「若い頃の苦労は買ってでもすべき」に反論 「ただの精神論」との声も
(しらべぇ - 09月01日 11:31)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=202&from=diary&id=5771188
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