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2019年08月12日23:46

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芸術とは?

まずははこちらを見てください。

【表現の不自由展】あれは芸術とは言えない!【深田萌絵】【WiLL増刊号 #066】




愛知のやつをかばう気は毛頭ないんですが、解説を聞いて、ん?と思った点が何点かありました。

浮世絵ってすごい技術力と表現力の、明らかな「娯楽芸術」だと思うんです。深田さんの説明では疑似芸術になります。

宗教画などは広義の意味で、キリスト教のプロパガンダ絵で魔術芸術であるとも言えなくはない。同様にゴスペルなんかも芸術じゃないですね。

大学の時に千利休から経済学を読むという流れのゼミに入っていました。だから詫び寂びや、懐石、器などはじめとした工芸品なんかも勉強しました。サボりサボりw

芸術品には上手物と下手物があり、上手物は二度と同じものが作れないような超秀逸な一品で、下手物は秀逸な一品であるにもかかわらず量産することが可能な物というように教えられ、なんだか高名な茶人は真の芸術は上手物よりも下手物だとか言ってたらしいです。
マンガなんかもそういう意味では下手物で、ページをめくって読んで感動させて完成する芸術だと思います。でも疑似芸術という分類にされますね。自分としてはマンガを芸術なんかのレベルに合わせるなとは思いますが。芸術を目指すマンガはほぼ駄作。

それと女性を美しく表現しないといけないという定義は長年のテーゼかもしれませんが、ありのまま写真のような絵を描く芸術家もいます。そういう人に対してはそこまで緻密なら写真でいいやんという批判もありますが、それはそれでオレは有りだと思います。
女性を美しく描かないと芸術じゃないというのは、ただの女性のワガママな感じがします。女性のワガママを受け入れるのが男の器という価値観であれば、女性を美しく描かなければ芸術じゃないんでしょうが。ただピカソの描く女性がモチーフをより美しく描かれているようには思えません。あれで美しく描かれてるんだ、感性の問題だと言われてしまうなら、慰安婦像の顔も同じ理屈が通ります。

慰安婦の悲劇として、こんな程度の顔でも強制連行されてしまったという解釈も可能だし、靴を履いていないのは女性にステータスを与えないというシンボルだとも思います。

人に感動を与えるのに顔の良し悪しは関係ありませんよね。

日本に強制連行された可哀そうな少女像が、日本に安置され、日本人が隣に座れて少女像を触りたい放題できるという皮肉な結果こそが、どこが芸術で何がしたいねんという突っ込みどころだと思うのです。


以前、井上雄彦の「最後のマンガ展」に行きました。原画が美術品として飾ってあるのだろうと舐めてかかって見に行った。原画が並ぶ。ホワイトなどでの修正もあり、ハイハイ、バガボンドの原画は芸術ですよって思いながら見てた。でも原画を見続けてるうちに気が付いた。あれ?これって原画の並んでる順がストリーになってね?と。美術品として飾られてる原画展が普通にマンガで、そして面白い。浜辺のシーンだと、原画の下は白浜使用。砂の上を歩きながら、小次郎の砂浜でのエピソードが読める。マンガが五感でも楽しめる。しかも階段にニョロが落書きみたいに書いてある。ニョロが出てきていいタイミングで。間違いなく、洗って消されるニョロ。

こういうのね。
フォト


現代美術、芸術を下に見てた俺は、雷に打たれたようにショックを受けた。これは確かに芸術だと。

つまり何が言いたいかと言うと、深田さんの定義に疑問と、愛知のやつはウンコ。

でもウンコは価値観によっては芸術かもしれない。
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