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2019年08月06日10:35

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ヒロシマの日の日記

今日は、ヒロシマの日。
昔、美大の学生だった頃、当時の学長先生の講座をとっていた。その中でとても印象的だった言葉。
「ドイツはアンネの日記という人類の財産を創った。これは世界中の人に、時を超えて戦争の厄災を訴えるものだ。しかし、日本はどうだろう。原爆という経験をして、それをこういう形に残す、何かを創ったろうか。」そうだ。当時も「黒い雨」や「貞子の話」はあったけれど、でも、世界中の人が知るものではない。でも、私は「ある!」と思った。それが「ヒロシマ」という言葉。中学で最初に英語を習う時、買わされた英英辞典に「hiroshima」と言う言葉が載っていたんだった。その時、手を上げて「あります!」って言いたかったけど、そういう返答を求める場じゃなかったので、できなかった。今でも、手をあげたかったと、思ったりする。
そう、私が中学のころは、東京や京都よりも、hiroshima の方が有名だったんじゃないかと思う。英英辞典にはkyotoもTokyoも載ってたけど。
今日はそのヒロシマの日。
こう、ヒロシマとカタカナで書くと、その意味合いは違う。地名ではなく、ヒロシマという概念を意味する言葉になる。
その概念とは何か。
 
安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから
原爆死没者慰霊碑、広島の平和公園の水辺に刻まれた言葉。
この言葉に、主語は無い。
当時もこの議論があったが、何十年もたった今日、そこに主語が無いことが、正しかったことがわかる。
 
本当のことを言えば、ここで「アメリカ」を出していたら、ヒロシマのアピールは実現しなかったろう。だけど、ここに主語をおかず、人類全体の贖罪とすることによって、ヒロシマは、単なる恨みや呪いではなく、普遍的な未来の平和を求める概念となることができたのだ。
今も私たちは、核の恐怖にさらされている。何処かの国のミサイルが飛んでくるかもしれない。つい、何年か前だって、原発が爆発したんだった。
核の災いはあの日、あの場所で起こった、単なる事件ではなく、核を操作する能力を持ってしまった人類全体の問題。
それを、今の私たちは理解できる。
そして、そんな視点を持てた、あの頃の人々の叡智に感激する。だからこそ、私たちはこれまで、生き延びてこられたんだろう。
 
もうひとつ、こういうヒロシマの概念を感じるものがある。
原爆資料館。
https://ja.wikipedia.org/wiki/広島平和記念資料館
建築家・丹下健三によってデザインされたもの。いわゆるハーモニカ型という形をして、一階は柱になり、浮いている。
丹下健三の建築をみると、何となく、そのポリシーがわかる。日本古来の柱構造。風を通して、建物を強くする。
この資料館の一階も柱だ。広い公園、川が吹き上げる風と戦わず、逃す。
そして、自らを守り、主張する。
風、人の息吹を音にする「ハーモニカ構造」とは良く言ったものだ。座布団一枚。
相手の力を受け止めて戦うのではなく、逃がしてその力を音にして、訴える。
これが、ヒロシマの意味。
今日、8月6日。
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