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2019年08月04日17:06

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カーバイト

 夏になると思い出すことがあります。ボクの家から子供の足で歩いて20分ぐらいで駅に着きましたが、闇市があって何か好きなんです。妖しい食べ物や「何でも××円」という店が有って万円筆やガラス切りなどいろいろ売っているのですが、これがまがい物で大抵使えないものでした。でも何度もだまされて買ってはいました。
夏祭りの夜店はカーバイトのシューっという音がでるランプが青白く光っていて独特の匂いがあった。

少し大きな建物の現場では今なら溶接で鉄骨を組んでいくのでしょうが、当時記憶にあって飽きずに眺めていた工法があります。鉄骨を組むのにピンで留めるのですが、地面でコークスを焚いて熱したピンを長いはさみで上に投げるんですが、それを形としては三角コーン(もちろん鉄製)で受け止めて鉄骨の穴に入れてたたいて留めるという工法です。そこで届かない3階とか4階,5階はどうするかというと、一旦受けて長ばさみで上に投げます。ピンの温度が下がった場合は上でもう一度コークスで焼いてやります。
子供の目には神業に見えました。飽きずに見ていましたね。カーバイトランプも含めて絶滅危惧種です。

がまの油売り 何度見ても確かに日本刀で自分の前腕を切っているように見えてそのぱっくり開いた傷口にがまの油を塗り込むと、これがなんと傷が塞がっているのです。わくわくしたものです。自分でも試したくなりカミソリで切ろうとしたのですが怖くて出来なかった。
あの頃は明日の心配は無かったな。戦争が終わって 大人達が夜な夜な集まってまた朝鮮で戦争があるらしい これで景気は回復するんだ と怪気炎を上げていましたが その中にいるある社長は戦犯で捕まるのが怖くて飲んで酔っ払っては泣き上戸でした。
親からいわれて怖い言葉がいくつかありました。
「憲兵がくるぞ」
「蒙古が来るぞ」
最後が 「MPが来るぞ」  子供はみんな家に帰りました。

道路を挟んで向かいの家は「鳥や」さんで奥さん1人で卵や鶏肉の販売をしていました。
卵は 5円 7円 11円 でした。今と余り変わらないというのはすごいのかどうなのか? そういえば 地元では「ぼったら」と言う食べ物があってもんじゃ焼きの事なんですが、今でも妹はもんじゃ焼きではないと言っています。
一番安いのが11円で刻みショウガが入ったもの。15円で卵が入って20円だとキャベツと卵だった。鶏を絞めるのは前の道路で首をちょん切るのですが、これも飽きずに眺めていました。鶏の捌き方を10才ちょっとでマスターして、今でも特技です。
(この頃電車の最短距離の子供料金は5円でした)

店の中に動かない掛け時計が 午後1時5分を指していました。その店は確かボクが30才頃まではありました。何で1時5分なのかって母に聞いたら旦那さんが赤紙が来て出征した時刻だそうで動くことはありませんでした。

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