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2019年08月04日15:16

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ディープインパクトが死亡

かつて有名な競走馬だったディープインパクトが死亡したとのことだ。その死については、「七冠制覇」、「獲得賞金十四億円」などの功績とともに報道された。そしてその死因は、頚椎を骨折していたことから安楽死の処置が採られたとのことのようだ。
しかし、私はこれらについてとても疑問に思う。
馬の命が、あまりにも商業化されすぎていないだろうか。
そもそもの競馬は、戦争のための戦力としてより能力の高い馬を選別するための競りの一種で意義のあるものだったが、馬が戦争に参加しなくなった現在、いまなお賭博を目的として続けているのは、時代錯誤ではないだろうか。
馬自身には、速く走る意義はない。しかしそこに賞金を懸ける人間の私利私欲のためだけに、危険なレースに日々駆り出されている。そしてその名前は、人間が発案したレースでの「優勝回数」や「獲得賞金」とともに語られ、賭博の対象とされた後は、「種馬」として利用され、その次の世代の馬も人間の高額な取引の対象にされている。
そしてその馬が骨折をしていれば、人間は「安楽死の処置をした」などと、さも「良いことをした」と言わんばかりである。
今回の報道の中で、ディープインパクトに騎乗していた騎手がインタビューに答えていたが、その発言の中に、「ディープインパクトは、走るのが好きな馬だった」という内容な含まれていたが、完全に人間側の驕りである。
馬が走るのが好きだったかどうかなど、馬にしかわからない。競走馬は、若いころから走るために調教されてきたから、そう成長したまでだ。人間が馬に対して走るための教育をしなければ、馬は決して無駄に走ったりしない。馬は本能として走っているのではなく、そのように躾られたから走っているにすぎないのだ。
競馬という制度は、あまりにも動物の命を商業化しすぎている。動物の命に賞金を懸けて、人間の射幸心を満たすために利用する遊びなど、もはや時代遅れである。ならば、五輪などの人間が走る協議に金を懸ければよいだけだ。罪もない動物を利用する意味はない。
人身売買はとうに禁じられているのに、動物の命に金を懸けて利用する理不尽に、人間はまだきがつかないのだろうか。

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