先日ジュンク堂書店大阪本店で、『哲学研究 第602号』(京都哲学会編集)という学術雑誌を購入し、早速、氣多雅子氏の「散らばりと取り集め ―ハイデッガーと無の思惟―」という論文を読もうとした。
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氣多雅子さんの「散らばりと取り集め ―ハイデッガーと無の思惟―」という論文は、今のわたしには全く、一行も読むことができないのだ。
なぜなら、氣多雅子さんのその論文は全文�爛疋ぅ銚讚瓩能颪�れていたからである。わたしにはもうドイツ語は読めない。この部屋に引越て来る際に、�爐發Ε疋ぅ銚譴脇匹爐海箸呂覆い世蹐Ν瓩函◆崙範村�典」はすべて売り払ってきたからだ。
いや、「独和辞典」を持っていたとしても、気多雅子さんのドイツ語で書かれた学術論文が読めるわけはない。わたしにはもうそんな語学力はもうないのだ。
ドイツ語を離れて、もう30年になる。いまさらドイツ語を勉強するつもりも気力もない。
そうそう、先日亡くなられた上田閑照先生のエックハルトに関するドイツ語の学術論文を�狷�本語�瓩頬殘�されたのは、松井吉康というわたしの後任として大谷大学の特別研修員になられた人で、上田閑照先生の下でエックハルト研究をやられた人である。
上田閑照先生にしろ、気多雅子さんにしろ、ドイツ語での学術論文は、まず日本語で論文を書いてそれをドイツ語に訳するというのではなく、最初からドイツ語で書かれたのだ。�爛疋ぅ銚譴嚢佑─▲疋ぅ銚譴能颪��瓩箸いΔ海箸�できるぐらいにまで、ドイツ語をマスターされているのだ。だからそのドイツ語での論文の日本語版はない。だから学生に日本語に翻訳させる必要があったのだ。
氣多雅子さんの「散らばりと取り集め ―ハイデッガーと無の思惟―」という論文も、気多雅子さんが研究書を刊行される際、ひょっとしたら�狷�本語版�瓩力席犬�収められるのかもしれない。
しかしその際、その論文を日本語に翻訳したのは一体誰なのか。
自分のドイツ語の論文の日本語に翻訳するのを任せられるのは、その研究分野で認めている人ということになるであろう。さて、気多雅子さんの場合はだれになるのか。学術からは少し逸れたことになるのだがわたしにはそれが楽しみでならないのである。
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