ちょっと本編の趣旨とずれるけど。
昔々あるところに、運動神経が悪くていじめられている少年がいました。
少年はある時耐えかねて、担任の教師に相談をしました。
少年の訴えを聞いた教師は、少年にこう言いました。
「君の同じクラスに『Aさん』という、足の不自由な子がいるよね。彼女はすごく努力していて、君と同じくらいの速さで走れるんだよ。」
「君は健常者だよね。足の不自由な子と同等なのはおかしくない?」
「君は明らかに、ほかの子に比べて能力が劣っているんだよ?わかってる?」
「君は能力を上げるための努力をしてる?してるなら、いじめられてる子に先生から言ってあげるけど?」
少年は何も言い返せずに、帰って「泣き寝入り」しましたとさ。
めでたしめでたし。
つまり、この教師の論理は「努力することはいい事だ」→「努力するものは偉い」
これを裏返して
「努力しないものは偉くない」→「偉くない奴に人権はない」→「いじめられて当然」
というものだ。
教師にとっては、実に都合のいい論理だろうが、それで納得するのは子供だけだ。
まず、何をどれくらいやれば「努力している」と言えるのだろうか?明確な基準がない。
例えば、高校野球の球児たちは一般人から見れば「努力している」部類に入るだろうが、メジャーリーグでプレイしているような選手から見れば「努力」のうちに入るまい。
次に「努力しないものには人権はない」というのも横暴だ。
それはファシズム国家の話であり、少なくとも日本の憲法における人権には、そんな「条件付け」はされていない。
最後に、この教師はとんでもない差別をしている。
足に障害がある子を「努力している子」として引き合いに出して、健常者の少年が同じくらいの速さでしか走れないことを問題視していた。
つまり「健常者が障がい者に勝てないのはおかしい」
言い換えれば「障がい者が健常者に匹敵するのはおかしい」と言っているのだ。
これを「差別」と言わずになんというのか?
かつてアメリカのメジャーリーグにピート・グレイという、右腕がないメジャーリーガーがいた。
そのことを鑑みて、この教師には今からでも遅くない。是非メジャーリーグでプレイできるようになっていただこう。「努力」して。
片腕のピート・グレイにできて、両腕のあるあなたにできない道理はないでしょ?
「健常者が障がい者に勝てないのはおかしい」んでしょ?
「自己責任論」でよく言われる「努力しないのが悪い」の、「努力」ってなんなんだろう?
■貧しいのは本人のせい? エリート階級に広がる「自己責任論」、乗り越えるには 格差問題の専門家に聞く
(ウィズニュース - 07月10日 07:10)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=220&from=diary&id=5699590
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