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2019年07月01日20:56

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庄内町へ・・・

 昨日は、叔母さんの四十九日の法事がありました。
 5月に亡くなったのですが、僕がハワイに行く直前であり、
 葬儀が出発日だったものですから、出席出来ませんでした。
 そんな事もあり、昨日はどうしても出席しなければなりませんでした。
 納骨も行ったのですが、雨が小降りになるのを待っていたりしたので、
 時間が掛かってしまいました。
 でも、和気藹々の法事になりましたので、叔母さんも喜んでいたろうと思います。
 その後も、チョッと用事があったため、日記は休ませて頂きました。

 先月の26日は、山形県の庄内町に行って来ました。
 先日の日記に書いた清河八郎の記念館に行くのが目的でした。
 昨年の秋、記念館の存在を知ったのですが、
 雪国なので、12月から休館になり、行けませんでした。
 今回行って置かないと、
 また来年になってしまう可能性があったので、是非行こうと思っていました。
 「西遊草」を読んだのも、その予習の意味がありました。

 清河八郎記念館は、庄内町の陸羽西線の清川と言う駅の近くにあります。
 山形新幹線の終着駅の新庄からは30分ほどのところです。
 厄介なのは、陸羽西線の運行本数が少ない事です。
 清川から酒田市に行っても良いかと検討したのですが、
 酒田市に行く列車に乗るとすると、清川の滞在時間は1時間ほどになってしまいます。
 酒田市には、後でゆっくり行く事にして、
 今回は新庄に戻る事にしました。
 10時46分に清川に着いて、新庄に戻る列車は12時16分発なので、
 滞在時間は1時間30分です。
 12時の列車の後は、16時14分になってしまい4時間ほど間が空きます。
 それほど見る場所もないかなと思い、1時間30分の間で見て回る事にしました。

 駅から記念館に行く途中に、
 昔源義経が奥州に逃れる際に立ち寄ったとの言い伝えのある御諸皇子神社があります。
 これを見て、その近くにある歓喜寺の清河八郎の墓も見てから記念館に行きました。
 記念館は、八郎を祀った清河神社の隣にありました。
 個人で設立した記念館ですから、規模も余り大きくはありませんが、
 八郎に関する資料が結構あり、「西遊草」の原本もありました。
 幕末のいわゆる志士達は、行動が中心で、余り文書を残した人はいません。
 そうした中で、八郎は珍しい存在なのかも知れません。

 記念館の受付の女性がとても気さくな方で、お茶など出してくれました。
 失礼ながらと断わって、どの位の人が来るのか訊いてみました。
 その日、僕は5人目の客との事でした。
 団体が来る時もあるが、団体の人は清河八郎を知らない人が多いので、
 一から説明しないといけないので大変だと言っていました。
 本当は、もっとじっくり観たかったのですが、
 時間が気になり、少し後ろ髪をひかれる思いで、記念館を出ました。

 新庄に戻って、昼食を摂ってから、観光案内所でレンタサイクルを借りました。
 自転車に乗るのも久しぶりです。
 慣れない自転車だったのと、前の籠にカメラなど重い物を入れたので、
 ハンドルがふらふらして、とても颯爽とは行きませんでした。
 ともかく、転んだり事故を起こさない事だけを考えて漕ぎました。

 最初に行ったのは、新庄藩主だった戸沢家の墓所でした。
 この墓所は、いわゆる御霊屋(おたまや)と呼ばれる形式で、
 墓所には6棟の茅葺の廟があります。
 御霊屋は、米沢の上杉家の墓所とか、弘前の長勝寺の津軽家の墓所でも見ましたが、
 戸沢家の御霊屋も立派なものでした。
 御霊屋の中がどうなっているか気になる方もいるかと思いますが、
 僕も気になり覗いてみました。
 立派な石碑が立っていました。

 戸沢家墓所から、新庄の城址に行きました。
 ここには、戸沢神社や護国神社、そして八幡宮があります。
 新庄発の新幹線は、15時17分の次は17時12分です。
 状況によってどちらでも良いかと思っていましたが、
 自転車で効率的に回れたので、15時の新幹線で帰って来ました。
 しかし、やはり歩かないと町の様子は分からないような気はしました。

 庄内町の様子なども写真に撮って来ましたので、宜しければご覧下さい。
 http://photozou.jp/photo/album/2882708


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