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2019年06月17日17:00

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阪神間モダニズム

阪神間モダニズム建築めぐりも始めてから随分たちました。
普段何気なくよく見る洋風建築を調べてみると、素敵な歴史的文化が地元近辺に広がっていると言う事を知ったのが、阪神間モダニズム建築めぐりを始めたキッカケでした。
近代建築・洋館に興味を持ち好きになると、興味の対象がそこかしこに点在すると言う神戸の好立地もあり本当に楽しく触れさせていただきました。

地元だし、外出が億劫になる夏や冬のウォーキングに〜と、初めは軽く考えてたのがまさかこんなにも長く巡る事になるとは思ってませんでした。
そんな阪神間モダニズムめぐりもほぼ回り切、日記に書き綴るのはいよいよ佳境に入ってきたと思います。
近代建築洋館めぐり好きな人は多くても、ここまで阪神間に特化してるのは間違いなく私くらい、検索しても殆どでてきません。笑
残念ながらここまで回っても建築専門的な知識は殆どわからないので自分の建築探訪記が参考になるかは怪しい所なのですが、、、

改めて、阪神間モダニズムについて調べてみた事を解説してみたいと思います。




阪神間モダニズムとは、明治期から昭和初期に大阪から神戸で発展した生活文化様式です。
近現代の日本の発展、生活様式にも大きく影響を与えています。


「阪神間」は、大阪〜神戸に拡がる市街地エリア。

大正〜昭和初期、日本一の大商業都市だった大阪の大富豪が阪神阪急沿線などに競って邸宅・別荘を構え、その影響で発展した豊かな文化・生活様式です。

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大大阪時代建築の代表、中之島公会堂(重要文化財)

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会員制クラブ・大阪倶楽部(国登録)

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船場の名建築、綿業会館(重要文化財)


お金持ちが住めば、教育施設や娯楽施設が必要となり次々と建設されます。
宝塚歌劇(宝塚市)や甲子園(西宮市)が中心都市圏の大阪・神戸にないのもその影響です。
大阪の阪急百貨店や大丸百貨店心斎橋店も阪神間に住む客層に焦点を合わせた事だと思います。
当時では東京などにはみられない、豪華で上品な百貨店が建設されました。
東京至上主義を無視するかのように、多くの文化人が移り住み独自で様々な文化の発展もされました。

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大丸百貨店心斎橋店


ロシア革命から逃れるために日本へ亡命、神戸に移り住んだ「モロゾフ」や「ゴンチャロフ」も今や全国で有名な老舗洋菓子店です。




阪神間の文化が現代の日本に与えた影響には、阪急東宝グループ創業者・小林一三があります。
小林一三は戦前戦後を代表する希代の実業家です。
奇抜な発想を次々に実現し、京阪神だけなく日本に新たな風を送り込み、大きく発展させました。

今では全国どこにもありますが、阪急電鉄の世界初のターミナル百貨店を大阪梅田に創ります。
顧客を増やすために沿線を大きく広げ、宅地造成を行い住宅を開発(初めて住宅ローンを導入したそうです)
顧客を寄せるために終着駅には宝塚歌劇を造り、大きな人の流れを作りました。

阪急沿線の土地を格安で提供し、学校を誘致したのも大きな功績です。
関西学院や神戸女学院が神戸市から郊外の西宮市に移転し、阪神間モダニズムの形成に大きく貢献しています。

宝塚歌劇は小林にとって芸能分野事業進出の起点となり、東宝グループが誕生します。
東宝は帝国劇場や日本劇場も運営してます。
東京の私鉄各社にも影響を与えただけでなく、小林は東京電力の経営などにも尽力し、商工大臣に就任。
財界の重鎮になりました。


日本で初めて、阪急の創始者・小林一三が提案したターミナルデパート、阪急百貨店。
かつての阪急梅田駅。
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半円型ホールにシャンデリア、四神と八咫烏の装飾があったそうです。
このホールから直ぐに阪急電車ホームがあり、高級感と上品な格式高い電車として京阪神の三都を結んでました。
日本で初めて自動改札を導入し、既にはるか昔から動く歩道があり、地下街に川が流れているという斬新なターミナルだったそうです。
現在は残念ながら解体され、当時の品格を下げてしまった駅に変わり果ててしまっています。
阪神間モダニズムを象徴するターミナルだっただけに大変残念です。
宝塚大劇場もそうですが、現阪急電鉄には疑問を感じます。
(当時の梅田駅写真はネットから拝借させて頂きました)




大阪の大富豪が阪神間に流入するさらに前、幕末に神戸港が開港したのも阪神間(特に神戸)発展に大きく影響されてます。
幕末に開港した都市は全国に数か所ありますが、神戸は六甲山と流れる河川の自然地形を生かして外国人が自由に住める雑居地区が他都市と比べ物にならないくらい広く設定されました。
その一角に旧居留地があり、居留地がいっぱいで住めない外国人が雑居区内に自由に住むようになります。
その1つが北野異人館街です。
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北野異人館の代表、旧トーマス邸(風見鶏の館・重要文化財)

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旧居留地15番館(重要文化財)
居留地建設当時から唯一残る神戸市最古の洋館



ある日急にお隣さんに当時では珍しい外人さん御一家が引っ越ししてくるわけです。
ご近所地域の家族付き合いが始まります。

「今夜ウチでパーティーするから来ない?よかったらちょっと手伝って〜」

と誘われます。
手伝うとそこで異国の料理を教えて貰ったり、お礼にと古着のドレスを貰ったり。
こういう事があちこちであり、雑居地区内では西洋文化が浸透していきました。
色んな事はあったでしょうが、神戸は比較的おおらかで他文化の受け入れもしてきたようです。

私も幼少期は南京町のど真ん中で住んでましたが、外人さんが周りに普通にいる環境でそれが当たり前で何も疑問にも思いませんでした。



神戸はいろんな日本の「〇〇発祥の地」であるのも他都市よりも異文化交流が盛んだった事に由来します。

ざっと上げると
映画・洋菓子・ゴルフ・マラソン・サッカー・ボーリング・水族館・登山・coffee・jazz・洋服・オリーブ・バナナ・レモネード
などが言われています。



戦前の洋風建築、近代建築が日本で1番多いのはやはり首都東京だそうですが、生活文化レベルで未だ浸透してるのは阪神間です。
大型ビルだけではなくお洒落な洋館が多く残ってるのも特徴です。


阪神間モダニズム建築めぐりもだいぶん巡り切って、佳境に入ってきました。
楽しかったなぁ。
”阪モダロス”になりそうです。笑




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