mixiユーザー(id:7898637)

2019年05月21日08:19

104 view

梁祝(リャンチュウ)に関する1300年代の五山文学の漢詩文集の記載!宜興「路暁農」先生からの依頼、調査続行中!

梁祝(リャンチュウ)に関する1300年代の五山文学の漢詩文集の記載!
http://blog.liangzhu.jpにもアップ

2019.05.21 Tuesday



これまで分かったことは、義堂周信(ぎどうしゅうしん)(1325〜1388)南北朝時代の臨済宗の僧、 明極楚俊(みんきそしゅん)(1262〜1336)68才で元(げん)から日本へ渡来した禅僧、73才で日本で亡くなったこと。

明極楚俊は寧波(ニンポー)の人であること、5000巻以上の(万巻の書)とともに、高徳の僧として招かれ日本へ来たこと、携えてきた書籍目録はないこと、義堂周信がまとめた書物「重編貞和類聚祖苑聯芳集(貞和年代

に古来の祖師の名句を分類集成した)」の霊跡の項目に「梁山伯墓・祝英台墓」に題した漢詩があること、

これが、当時の禅僧の間に広く知られたことなのか、また当時の一般の人が知ることであったのかは不明。既に二回、国会図書館に出かけいろいろな文書を渉猟したが、いまだ調査続行中。


これまでに見つけた「重編貞和類聚祖苑聯芳集」の二種類の写本原本、明極楚俊像と渡来時の船(中国の明極楚俊の論文)にある。


この調査の経過の中で、梁祝(リャンチュウ)二つの漢詩の前に「義之故居」という一行があるので、梁祝広報部長Tsukaさんに報告したところ、本日(5月18日の項目)、氏のブログ

「夢酔独言」に経過を取り上げておられますので、

以下に全文を転載させていただきました。

2019年5月18日 (土)


五山文学、「霊跡」の項に書聖・王羲之を詠んだ詩が!


先月20日のブログで、「五山文学と梁山伯と祝英台」を取り上げましたが、

Photo_48 その中に、書聖・王羲之の詩が並んで登場しているのはなぜか?という私の疑問に対し、
渡辺明次(梁祝)先生から(連休中に)丁寧な資料が送られてきました。
※右の写真は、先月20日の渡辺先生。神田の居酒屋「清龍」にて→

「梁祝のついでに王羲之の部分について経緯を調べました。
単語を添えましたのでおわかりいただけると思います。また国会図書館でコピーした活字化された原本は、「五山文学」ではなく「大日本仏教全書143巻」(大正元年発行)にあることがわかり「日本の古本屋(全国の古本屋のネット)」で奈良県の古本屋で4000円で見つけ取り寄せました。
100年前の本でページは、乱暴に扱うと破れるような古書です。」

02_3 というわけで、私が興味を抱いてしまった王羲之についての詩は「大日本仏教全書」の「霊跡」項目(漢詩三十九首)の中にあったのです。

「霊跡」という項目があることを知り、1000年も前の人物名(王羲之+梁山伯+祝英台)が登場するわけがわかりました。中国の僧、偃溪(えんけい)が王羲之の旧居について詠んだ詩なのです。

羲之故居    偃溪
亭前不改晉山河。亭下春风屈曲過。
我自不知贤者事。细挼花片付流波。

実は私、連休中にケガをして入院し、今週月曜日に退院。現在自宅で療養中でだいぶ良くなりましたが、頸椎損傷で両手がしびれ、もしや筆が持てないかも?!(笑)

でも大丈夫、筆を持つことは問題なし。そこで今日は、筆と気持ちのリハビリ?です。

01_5 偃溪の詩「羲之故居」七言句を揮毫しました。
私の意訳ですが: 
東屋辺りの山河は晋の時代と何も変わらない、見下ろせば春風が曲りくねって過ぎてゆく。
私は書聖・王羲之について何も知らないけれど、細かくちぎれた花びらが秋風に乗って流れてゆく。

こんな感じかな〜?
大雑把でスミマセン。m(__)m

1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する