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2019年05月17日02:07

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ぎっくり背中

俺はいま京都は東山にあるホテルで首から背中にかけての恐ろしい激痛と闘いながらこの日記を書いている。

京都には毎年4回ほど仕事で訪れる。
春の息吹を感じる3月頃からゴールデンウィーク明けの今くらいまで、一度に3,4日を過ごして、東京に帰る。
そんな生活がもう4年は続いている。
4年もいると馴染みの店や宿もできて、そこで知遇を得た人の家に泊まりに行ったことも1度や2度ではない。

若い頃に海外で過ごしたことから、ある程度外国語も話せるので、日本人はもちろんさまざまな国の人とすぐに仲良くなれる。うちの両親は、こと教育という観点においては、ほとんど的外れであったが、愚息を早い段階で海外に送り出したことは、間違いなく正しい選択であったと思う。それほどまでにコミュニケーションが取れるというのは楽しいことだ。これがお金に結びついてくれるとなおいいんだけど、その日はまた訪れてないようだ。41歳で訪れてないんだからひょっとしたらもうそんな日は来ないのかもしれない。

税控除というものがある。
これは経費を自分で自由に使えないサラリーマンが保険や家を買ったりするとその支払いに使用した金額の一部が税金からさっぴかれる制度のことで、家も持たない明日死んでも誰も困らないなんていう根無し草だった私は一顧だにせずに、フルマックスで税金を払い続けていた。

終身保険というものがあって、この超低金利の時代に、3%もの金利をつけて貯蓄ができる仕組だという。この所得税から控除枠は三つあって、これ以外にも、確定拠出年金や、ニーサと言った思考停止に陥って銀行口座の普通預金で塩漬けになっているお金をなるべく外へ出すための仕組みがたくさんあるにもかかわらず、その知識を全く知らずに20年も経ってしまった。その間の時間ほとんどを労働に費やして、税金をせっせと払っていた。

この愚かさがわかるだろうか?わからない人はもう少し生きてみるといい。いつか、そう遠くない未来にその意味を知るだろう。

なんだってこんなことになってしまうのだろうか?
これはつまり魚に育てられた鳥の話なのである。

魚は水の中の生活は得意でよく知悉しているだろうが、当然空の上で起こっていることには疎い。

ただ、大人の魚は、自分が鳥でないことを知っているだろうから、自分の子が魚でないことがわかった時点で、鳥としての生き方を教育する必要があることがわかるであろう。
しかし、魚には鳥のことがわからぬ。つい、誤ったことを伝えたりすることもあるし、絶対にしておいた方が良いことを伝えなかったりするものである。そして、魚のみが知ってる、言い換えると鳥が決して知らないことを教えられたりするものである。


深更である。
そろそろ寝たいと思っているのだが、このぎっくり背中が、寝かせてくれないのよ。

でももうそろそろ休まないと。。
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