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2019年05月09日01:24

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改めて思うこと

最近改めて「名探偵コナン」と「金田一少年の事件簿」を読み比べてみたのだが、同じ推理漫画でも両者のスタンスが実に対照的なのに気が付いた。

まず「金田一」は非常に犯人の動機に重きが置かれていて、多くのページが割かれる。読んでいると、むしろ被害者のほうが悪者だったケースも多い。
それだけに「普通の人間が理不尽な目にあって殺人鬼になる恐怖」が描かれている。
なんというか「善と悪が表裏一体」という東洋的なスタンスを感じるのだ。

対して「コナン」は犯人の動機が(傍から見れば)下らないものが多く、「どうしようもない犯人をコナンが捕まえる」という一種の痛快さがある。
それだけにコナンや警察による勧善懲悪的なスタンスが強調され、「善と悪は交わらない」という西洋的な構図を感じる。

また「金田一」では一が犯人の言い分に対し「お前が辛い目にあったのはわかるが、だからといって復讐なんかしてはいけない」と説得するシーンがよくあるのに対し、「コナン」は犯人を厳しく糾弾することこそあれど、同情を示すシーンはほとんどない。
それに「金田一」では稀に犯人が見逃されるケースもあるが、「コナン」ではどんな些細な不正も警察に届けられる。


こうして比べると、エンターテイメントとしては「コナン」の方が成功する要素を持っていることがわかる。
「金田一」はどうしても話が重くなってしまうのに対し、「コナン」はシンプルで爽快な展開にすることができる。
「(乱暴な表現になるが)自分勝手な、同情の余地のないクズをコナンが成敗する」というのは見ていて気持ちがいいし、見ていて後腐れがない。
毎年劇場版が大人気になるわけである。


ただ、個人的に「金田一」のほうが好きなのは、

「人が人を殺す動機なんて、知ったこっちゃねーが、人が人を助ける理由に…論理的な思考は存在しねーだろ?」
「トリックなんて所詮人間が考えだしたパズル…人間が頭をひねれば論理的な答えをいつかは導きだせるけど…情けねーが人が人を殺した理由だけはどんだけ筋道立てて説明されてもわからねーんだ、理解はできても納得できねーんだよ」
「分からねぇな…どんな理由があろうと 殺人者の気持ちなんて分かりたくもねぇよ…」

という台詞を「コナン」で知ってしまったからだ。

これって共通しているのは、殺人者を完全に自分とは「異質」な存在として見なしていることなのだが、すごく傲慢に感じるのは自分だけだろうか?

「殺人者に同情してやれ」というつもりはないが、あまりに冷たいというか、「あいつら(犯人)はバカだから殺人なんてやらかしたが、自分は大丈夫」というようにも取れる言い方だ。

例えば、少年探偵団や阿笠博士が犯人の手にかかったら、コナンは犯人を殺してやりたいと思わないのだろうか?
毛利小五郎は、蘭や英理が理不尽に殺されたら、復讐しないと言い切れるのだろうか?

もしそれでも言い切れるのなら、それは本当に傲慢なのか、よほど人間ができているかのどちらかだろう。


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