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2019年05月01日06:48

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蟻の街の子供たち 北原怜子(きたはらさとこ)−3

聖母文庫 聖母の騎士社刊

 それから間もなく十二月初旬の冷たい小雨の煙っている夕暮でした。
 私は、二階の電車通りに面した、窓の戸締りをしながら、ふと下を見ると、この雨の中を、傘もささずに急ぎ足で店の前を通り過ぎて行く、黒い服の神父様があります。白い髭を北風になびかせ、黒い鞄を小脇にはさんだ、見覚えのあるゼノ神父様でした。この時刻に、隅田公園目ざして行くのを見ると、きっと、この間の「蟻の街」にいらっしゃるに違いない、今日こそはぜひとも、お伴したいと、私は駆けるように、階段をおりて、傘もささずに外へ出ました。師走とはいえ、雨のせいか、電車通りはいつものように混んでいませんでした。私は走るように、ゼノ神父様のあとを追ったのですが、もうどこにもお姿は見えませんでした。東武鉄道のガードをくぐって、一、二町ほど走りつづけてから、とあるお店で「蟻の街」の所在を尋ねてみましたが、
 「さあ、なんでもこの近所にあるって話は聞いてますがね、どこにあるのかはっきり分かりませんね」
 と、相手は怪訝(けげん)な目つきで、私を見つめているだけでした。まるで、人間の世界外のことを尋ねられたような表情でした。その上、雨はだんだん本降りになって来ました。
 私は尋ねあぐねて歩みを緩めたとたんに、そうだ新聞を見れば、と思いつきました。そして私は、再び家へ飛んで帰って新聞を探し出し、あの記事を読みかえしました。
 浅草隅田公園、言問橋のほとりに蟻の街があると分かったので、私は店先の、ありあわせの傘を手にして、又もや雨の中へ出て行きました。隅田川から吹きあげて来る風雨に、身をさらしながら公園の入り口に立って、もと高射砲陣地があったという低地を見下ろすと、川岸に、黒々とした大きな板囲いがありました。近づいてみると、崩れかかった板塀には不似合な「蟻の会仕切場」という立派な看板が出ていました。門の中をのぞくと、誰やら一生懸命仕事をしています。
 「あのー」と、私は傘を傾けて、その人に声をかけました。
 「あのー、外人の方がお見えになって、いらっしゃいませんでしょうか」
 「ええ、あの白髭のアメリカ人でしょ」
 と、相手は仕事の手を休めて、私をじっと見つめました。ほとんど顔を見分けられない暗さでした。
 「会長の家の方に来ていますよ」
 と、相手は素っ気なく言いました。
 「会長のお家って?」
 「あっちですよ」
 私は相手の指さす方角へ視線を向けましたが、それらしい建物を見つけることは、できませんでした。それでも、私は礼をのべ、その方角へ歩き出しました。
 もう、あたりは闇の中に包まれ、隅田川には、対岸の夜景が、寒々と映っていました。私はただ、うろうろと今戸橋のあたりを三十分も探し回りましたが、会長さんの家らしいものは、どこにも発見できず、とうとう思い余って今戸の交番に立ち寄りました。
 年とったお巡りさんが、親切に教えて下さった会長さんの家というのは、もと「ボート・ハウス」だったという建物でした。それは戸をたてきってあったので、人が住んでいない、倉庫のようにしか見えなかったのです。さっき私は、 そのそばを通り過ぎてしまったのです。私は走りこむようにして、その家へ飛びこみましたが、とっさに何故ともなく、はっとさせられました。

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