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2019年04月28日21:01

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゚Д゚) <人生の舞台 (Tamasha)

■知る人ぞ知る4月29日「ナポリタンの日」 好き・嫌いを聞いてみると性年代で意識に差
(しらべぇ - 04月27日 10:31)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=202&from=diary&id=5599312

 子供の頃、「子供にはナポリタン」的にずっとナポリタン出されてたから飽きちゃってね…。その後で、なんの気なしに頼んだカルボナーラが美味しくて美味しくて…!!!

 そんな美味しんぼ体験をしてからと言うもの、カルボナーラ派のワタスですよ。
 と言っても、そこまでこだわりないので専門店とかではよくわかんないイタリア語風の名前のやつを頼んで「こんなんになるのか!」って楽しんでたりはするけれど。イタリア語よくわかんないから、全然覚えてないんだけど。
 どーせなら、イタリア本土で本場パスタをトレビアーンして、オーマイコーーンブしてみたーい!わーい(嬉しい顔)




人生の舞台 (Tamasha) 2015年 139分
主演 ランビール・カプール & ディーピカ・パドゥコーン
監督/脚本/製作 イムティアーズ・アリー
"このお話の続きは? 続きを聞かせて!"

https://www.youtube.com/watch?v=o-e5eWVCzx8

 今日も幕は上がり、劇は始まる。舞台ではロボットとピエロとの、不可思議な一問一答が繰り返される。ロボット役兼脚本担当のヴェドは、その芝居の台詞を反芻しつつ在りし日を思い出していた…
************

 回想の第一幕は、ヒマーチャル・プラデーシュ州シムラー。
 9才のヴェドは、旅芸人の語り手の老人にせがんで、有り金をはたいて様々な物語を聞き出していた。ラーマーヤナから始まるお話は、ある時はイリアスに、ある日は聖書伝説に、次の機会には千一夜物語へと変化していく…
「待って待って、前聞いてたお話と違うお話になってる」
「なにか問題があるか? どれも同じような話さ。名前が違うだけだ! この前の話は、他の物語とも同じなんだからな!!」
 いつしかヴェドはそんな物語に感化されて空想の世界を遊ぶように…。

 第二幕はそれから10年。
 成長したヴェドは、コルシカ旅行中にあるインド人女性と知り合うと…。


挿入歌 Matargashti (開けた道をブラブラすると)

https://www.youtube.com/watch?v=6vKucgAeF_Q

挿入歌 Heer Toh Badi Sad Hai (ヒール哀しや [この幾日かは気もそぞろ])

https://www.youtube.com/watch?v=dioKyJt5-PE


わーい(嬉しい顔) 名匠イムティアーズ・アリーの6作目となる監督作。タイトルは、ヒンディー語(インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語で、その娯楽映画界を俗にボリウッドと言う)で「見世物」とか「ショー」「スペクタル」。
 インド国内の他、コルシカ、東京ロケも敢行され、日本のボリウッドファンを騒がせた一作(東京ロケは、2015年4月8日から2日間かけて行なわれたそうな)。
 日本では、Netflixにて原題のまま配信されていた後、2020年に「人生の舞台」の邦題がついて配信し直された。

 お話は、物語に魅せられた少年時代をすごした主人公ヴェドが、夢を捨てた平凡な大人に成長しつつ、コルシカ旅行で演じた"ウソの物語"によって、自身の本当の物語を見つけていくまでを描く「自分探し」と「物語が人を変えていく過程」「物語そのものの力」をテーマとした1作。
 ただ、映像的には美しく洗練された表現の数々はあれど、お話はそのテーマ性故にやや理屈っぽくありきたりな青春映画になってしまった感あり。イムティアーズ監督の前作「Highway(ハイウェイ)」のような突き抜けたワクワク感や完成度には届かない、肩の力の抜けた作風になっている…か?

 映像的には、高彩度照明がどぎつい舞台上や空想上の物語世界、ヴェド少年時代のシムラーのパステル調の世界、コルシカのひなびた色彩世界と描かれて来てからの、現在のヴェドを囲む影の濃いデリーの現実世界が、ヴェドの心の変化と共に徐々に物語世界と混交して行く様が美しい。もっとも、最後の日本ロケはその延長上のどんな世界を現してるのかがいまいちハッキリしない感じで、無理に入れた感が漂うけども…(監督コメンタリーでは「日本のスタッフは素晴らしかった」と言いつつ、メイキングでは東京ロケは無視されてしまってるしぃ)。
 時々、章題のように挿入されるロートレック風ポスターイラストは面白い効果になっている…感じ?

 映画の前半、英語が通じずインド人移民や観光客が見つからないコルシカ(ホント?)を舞台に、英語が通じないが故に出会った男女、インド的しがらみがない故に破天荒な自分を解放できる南洋のけだるさにつつまれた観光地と言う立地コンセプトがスンバラしい。
 なんか、ホントにコルシカに行ってみたくなる観光ムービーだし、コルシカで自分もなにかを見つけられるような気になってくるその風景、街角の雰囲気、エキストラたちののんびり具合がいい感じ。 
 対する東京ロケは、そのシステマチックな高層ビル群や人の流れのカットをつなぎながら、その中にいるインド人主役2人と言う姿に、コルシカシーンとの対称関係であり対極になるシークエンスってことになるのかもしれないけど、よく知ってる場所がボリウッドに出てくると、映画として見ようとしても「おおぅ…あの日、あそこに行けばこの2人やボリウッドスタッフと会えたのね…」って事ばっか考えてしまって集中できない。くぅ。最初の撮影時には雨が降ってたとか言うけど、まあいい季節に来たよね。

 インドを代表する世界最長の叙事詩マハーバーラタには、「世界中の物語はここにあり、ここにない物語は世界のどこにもない」と言う文句が出てくる。そこからインドでは、真にオリジナルの叙事詩や物語を産み出すのは、(叙事詩を筆記して後世に伝えるよう人間に命じた)神の所行であると言う読み解きがなされるそうで、インドでは1つの物語が何人もの人の手によって幾重にも改変されていく事は、むしろ推奨する向きもあるとか。
 それを反映してか、インドの物語文化は"オリジナルの物語"なるものよりは、過去さまざまな形で伝えられる物語を"現在に合うよう改変させた物語"を求める姿勢が存在する…ように思う(弱気)。それは、映画界ではパクリの横行につながるマイナス面を持つと同時に、1つの物語を幾人もの人と膨大な時間の積み重ねの中で深化させ、習合と純化を繰り返し、一人の人間だけでは産み出せない、複雑で奇想天外な物語が出来上がっていく事にもなる。
 映画を始め、物語を扱う媒体が無数に増殖する現代社会において、そうした「物語のための物語への問いかけ」は饒舌なインド人にはもってこいのテーマなのか、その手のメタフィクション要素を含む映画も数多く作られている(まあ、舞台劇ってものがそもそも客観的なものだから、外から見た目線で中身を茶化すってのは、やってみたくなるんだろうけどね)けど、本作もヴェドの現実と夢の衝突具合を描く青春劇を通じて、物語に突き動かされるヴェドの有り様や、男女2人の"よくある"恋愛劇の中に存在する、「ありきたりの物語」「ありきたりの生活」「ありきたりの人生模様」「ありきたりの映画」を描いていく所に、メタフィクション的なものも見えてくるような、でないような(深読みしすぎと言われれば、ぐうの音も出ないけど)。

 ま、自身の物語に目覚めて平凡な日常を自ら壊していくヴェドの姿は、まったく映画の種類が違うけど「ファイトクラブ」的だなあ…とか思って見てた私なんですが。


挿入歌 Wat Wat Wat (ワト・ワト・ワト)

https://www.youtube.com/watch?v=vURbICF6T5U

プロモ映像 Safarnama (ああ、この旅の記録よ)

https://www.youtube.com/watch?v=7mTDBsdfw88

日本ロケメイキング

https://www.youtube.com/watch?v=IaGrUoFpEPQ


受賞歴
2016 Screen Awards 読者選出主演女優賞
2016 Filmfare Awards 作詞賞(イルシャード・カミル / Tum Saath Ho)
2016 Zee Cine Awards 男性プレイバックシンガー賞(アルジット・シン & モーヒト・チャウハン / Matargashti 【Roy】に対しても)
2016 Stardust Awards 女優・オブ・ジ・イヤー賞(ディーピカ / 【Piku】に対しても)

2016 Mirchi Music Awards リスナー選出ソング・オブ・ジ・イヤー(Tum Saath Ho)



・本作と同じイムティアーズ・アリー監督作「Highway (ハイウェイ / 2014年ヒンディー語版)」はこちら
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1958319172&owner_id=3570727



・Tamasha を一言で斬る!
「デリーのあの店は、日本料理店なの…か?(それが東京ロケの伏線なんだろうけど)」
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