「何故だ!この者達は関係ないだろう!!?」
薄暗い海底で、縛り上げられた乙女が声を荒げる。
彼女の横には同じく縛り上げられたシファと、同じく縛り上げられ、淡い色の頭髪が一部分赤く染まっているマンダフ。
マンダフは気を失ってぐったりと地に伏しており、シファはそんな彼を心配そうに見つめ寄り添っていた。
「関係なくはないだろう?そやつらは里に危険を持ち込む存在」
そういったのは、先ほど暗がりから現れた男。
彼らは今、里からずいぶんと離れたさらに深い場所にいた。
この場所は里と同じく空気があり、洞窟が奥へと続いていて。
「お前たちを贄にすれば、あの方は満足を得、里はさらなる守護を授かる事ができるのだ!」
男のその大きな声が洞窟に響くと、それを合図にしたかのように洞窟の奥からズズッ…ズズッ…と、何やら大きなものが這い出てくる気配があり。
「おお!我らが偉大なる゛っ……」
「ひぃっ!!?」
男が大きな声を出したと思うと、次の瞬間その上半身がなくなっていた。
そう、無くなった。目の前に現れた"人食いの魔物"によって喰われたのだ。
それを目の当たりにした乙女は恐怖のあまり身をこわばらせる。
そして、"人食いの魔物"…人の倍以上の大きさがあり、ウツボのような長い体に背から尻尾にかけてついている鰭はまるでとがれた槍のように鋭く…ソレが、今度は自分に狙いを定めていることに気付き。
歯の根が合わずガチガチと音を立て。
「あ…」
乙女は、このまま喰われるのだ。と、諦めたように目を閉じた。
「っ!!?」
しかし、次の瞬間体を襲ったのは食いちぎられる痛みではなく、背後からぶつかられる感覚で。
「お前!?」
驚いて目を開けば、いつの間に縛られていた縄を解いたのか。シファが覆いかぶさるようにしていて。
「あんな大声出したら、そりゃ食べてくださいって言っているようなものだよ」
落ち着いた声に顔を上げると、そこには先ほどまで気を失っていたはずのマンダフの姿が。
「あいつは人間の言葉を理解するタイプの魔物じゃない。生け贄を捧げたところで言う事を聞くわけがないし、むしろ…人の味を覚えてしまったからね、さらなる被害が出るだけだ」
彼は先ほどまで男が持っていた錫杖を拾い上げ。
「君達は逃げて、こいつは…私が倒す」
暗い洞窟を、シファが乙女の手を引きながら走っていると。
「止まれ!貴様等、どうやって抜け出してきた!」
「見張りかっ!」
里でマンダフを気絶させ、ここまで運んできた男たちに止められ。乙女は前を走っていたシファの腕を引き、自分の後ろへ庇うようにして立つと。
「儀式はどうした!?司祭様は…」
「あの男は魔物に喰われた!何度も言っていただろう!?あれは神などではないと!!」
見張りの戸惑う声を遮り、乙女が声を荒げる。
「今、あの男が一人で戦っている!早く加勢を…」
「え…いや、しかし…」
しかし、見張りの男たちは戸惑いを見せ、どこか及び腰で。
「ええい!かせ!!」
乙女は見張りから薙刀を奪い取ると。
「お、おい!」
「助太刀に行く!あの優男だけでは頼りないからな…お前たちも恐ろしいのならさっさと里へ帰れ!」
乙女はそう啖呵をきって、元来た道を走り出す。
残された見張りは呆然とし、シファは。
「……。」
見張りたちに頭を下げ、彼女もまた、乙女を追いかけ洞窟の奥へと走って行った。
「…意外とすばしっこいね…」
洞窟の奥で1人魔物と対峙していたマンダフは、見た目の割に素早い動きをする魔物に苦戦していた。
氷の呪術で多少動きを鈍らせることはできるが、強力な呪術には詠唱もそれなりの時間が必要で、逃げられてしまう。
「さて…どうしたものか、なっと」
振り回される尻尾を錫杖でいなしながら次の一手をどうするか考えていると。
「!?」
振るあげられた尻尾の先が切り落とされ、地に落ちたそれがビチビチと跳ねる。
何事かと視線を動かせば。
「え、戻ってきちゃったの!?」
薙刀を構える黒髪の乙女と。
「シファまで…」
彼女の後ろで手を振るシファの姿が。
「逃げてって言ったのに」
「ふん!大口をたたいていた割にはまだ倒せていないではないか!貴様一人ではどうせ倒せんのだろう。加勢してやる」
乙女はそう言うと勢いよく飛び出し魔物を斬りつける。
しかし、その表皮は魔物の出す粘液によりすべりがよくなっており。
「くっ」
薙刀による斬撃はあまり意味をなしていないようだった。
だが、乙女は諦めることなく魔物に斬りかかる。
「これは私がやらねばならんのだ…私が…」
その姿はどこか焦っているようにも見えた。
「……ふむ」
そんな乙女の様子を気にしつつ。
「…ねえ、あいつの注意ひきつけられる?」
標的が増えたことにより狙う相手を決めかねている魔物を前にマンダフは乙女に尋ねると。
「出来るに決まっているだろう!……何をするつもりだ?」
彼女は魔物から視線を外さず啖呵を切り、次いで尋ね返す。
「ああいう手合いは、焼いてしまえば切り分けやすくなるよね」
それを受け、マンダフがにやりと笑えば。
「ふむ、なるほど」
乙女も納得してにやりと笑い返し。
「ならば、しっかりと焼き上げろ!」
そう、大きな声を出して走り出す。
「シファは彼女のサポート、お願いね」
そしてマンダフの言葉にシファも頷いて。
乙女が薙刀で魔物につかず離れず攻撃を繰り返していると、魔物は彼女を煙たがり優先的に攻撃を仕掛け始め。
「さあ、お前はどれほど燃えやすいのかなっ!?」
詠唱を終えたマンダフが杖を振ると、炎の蛇が魔物に絡み。
「うん、いい燃えっぷりだ」
魔物の体を覆っていた粘液が着火剤となり、その巨体を炎がつつむ。
そして、熱さにのたうちまわっていた魔物の動きが鈍くなり。
「とどめだ!」
乙女は薙刀を振り下ろし、魔物の首を刎ねた。
黒く焦げた頭はごろごろと転がり、しばらく暴れていた胴体も動かなくなり。
「……おわった…」
と、乙女がその場にぺたりと座り込んだ時だった。
「っ!!」
突然シファが走り出し、乙女をかばうように抱きかかえ覆いかぶさる。
驚いた乙女が目を見開いた先には、大口を開けてこちらに向かってくる魔物の首。
そして。
「首だけで動くって、ほんと野生は侮れないね」
魔物の首と乙女たちの間に割って入ったマンダフが持っていた錫杖を魔物の口へ突っ込むと。
「燃え尽きろ」
呪を唱えた瞬間、魔物の頭を炎がつつみ、激しく燃え上がる。
魔物の頭が灰になり、びちびちとのたうっていた頭を失った胴体の動きが止まってようやく。マンダフは杖を下し手小さく息を吐いた。
「…二人とも、怪我は…って、うえっ!!?」
と、振り向いたところ。胸元を掴まれ。
「…貴様…力を出し惜しんでいたのか!!」
突然怒鳴られ目を白黒させるが、乙女を必死に止めようとしているシファの姿が目に入り。
「まあまあ、落ち着いて」
胸元を掴んで今にも絞めあげんばかりの勢いの手をするっと離させると。
「アレをすべて灰にするには、この空間は狭すぎるんだ」
乙女が怒っているのは、魔物の頭を一瞬で灰にできる程の力を持ちながらてこずっていたことに他ならず。
「アレの動きも早いかったし、燃えたままこちらに来られても困るだろう?だから、動きを止める必要があった」
穏やかな声色でそう言われても、乙女は納得がいかないようで。
「ならば貴様一人残って、どうするつもりだったんだ!」
今の説明では、少なくとももう一人戦闘要員が必要ではないか!と。
「あ〜…それは…」
すると、マンダフはちらりとシファの方を見て。
「……まあ、終わったから言うけど…ほんとは、爆発させるつもりだったんだよ…ねぇ」
マンダフは魔物をこの空間に閉じ込め、この場所ごと爆発させるつもりだった。
もちろんそんなことをすれば彼自身ただでは済まない。
だからこそ、二人を逃がしどうにか魔物の動きを封じ込めようとしていたのだが。
「あたたた、ご、ごめんって」
そんな危険なことをしようとしていたのか!と今度はシファがマンダフをポカポカと殴りだす。
そんな二人の様子に、乙女は張りつめた糸が切れたかのようにその場にぺたりと座り込んだ。
「……大丈夫かい?」
それを見て、シファは心配そうに駆け寄り、マンダフが声をかける。
「何故だ…何故、お前たちはそんな危険を冒してまでアレを倒しに来た?」
すると、乙女がポツリとつぶやく。
それに二人は顔を見合わせ。
「そりゃ、まあ。依頼されたし……」
「赤の他人の願いを聞いて、命を失うような危険を冒すのが普通の事か!?」
苛立った声をあげる乙女に困惑していると。
「スイの里の者は皆、どれだけ声をかけても、頼んでも、誰も手を貸してはくれなかった…」
乙女は彼らが里を訪れるずっと前から、魔物の危険性を…討伐せねばならぬと訴え続けていた。
しかし、保守的な考えの者が多いスイの里で賛同する者を得るう事が出来ず。
ならばと一人で里近くに出る魔物を退治していたのだが。
あの日、不覚を取って気を失い。血の臭いに惹かれ興奮した魔物の群れが近くの村を襲った。
その時ちょうど、マンダフ達が現れたのだ。
己の不注意で人々を危険にさらしてしまい、やはり一人では無理だと訴え続けるも里の者は無関心。
「私は…無力だ…」
溢れ出る涙をぬぐいもせず吐き捨てた乙女を、シファは優しく抱きしめる。
そんな乙女を前に、これからどうすべきか考えていたマンダフは、角に複数の足音を感じ。
「…お出迎え。…という雰囲気ではなさそうだね」
その言葉に、シファと乙女も顔をあげる。そして、三人の視線の先に現れたのは。
「………。」
険しい表情の青年。
彼はスイの里で最初にマンダフに声をかけてきた青年だ。
「…何があったのか、説明していただけますか?」
静かで丁寧な口調ではあったが、それは頼んでいるというよりも話さねばこの場からは出られぬぞというような威圧感があり。
「説明と言われてもねぇ」
マンダフは小さく息を吐いて、肩をすくめた。
里で聞き込みをしていたところ、昏倒させられここへ連れてこられた。
気が付いた時に首謀者と思われるものはすでに魔物に喰われており、自分は喰われないために戦っただけだ。
そんなマンダフの説明を、険しい顔で聞いていた青年は。
「………。」
近くに倒れていた下半身を一瞥し。
「…それが、その喰われた遺体。アレの腹を裂けば上半身も出てくるんじゃないかな。たぶんまだ消化もされてないだろうし」
その視線に気づいたマンダフの言葉に、青年の護衛と思われる彼の後ろに控えていた兵士風の二人の男の顔が蒼くなる。
そのうちの一人に至ってはこういう儒教に慣れていないのか、口元をおさえ気分が悪そうだ。
「……あいわかった。ならば、里に危険を持ち込んだ代償として。男の一族を里から永久追放とする」
それを聞いた瞬間、乙女が勢いよく顔をあげる。
その顔は、悲しみというよりも怒りの表情で。
「元はといえば…貴様らがお義父様の要求を蹴ったことが始まりではないか!!」
怒りのあまり声を荒げる乙女に対し青年は表情を崩さず。
「里へ危険を持ち込むことは何人たりとも許されんのだ。よいな、ヒサメ」
夕暮れの紅玉海。
「…すまなかったな」
沈みゆく太陽を見つめながら、乙女…ヒサメと呼ばれた彼女が小さく謝罪の言葉を口にした。
彼女の要望により魔物に食われた男…彼女の養父…を、スイの里の風習に伴い埋葬して、しばらく三人で海を眺めていたときに口からこぼれ出るように言われ。マンダフとシファは顔を見合わせる。
「あの…余計なことかもしれないけど…君の他の家族は…」
そして、おずおずとマンダフが尋ねると、彼女は苦笑し。
「安心しろ、あの男の親族はもう私だけだ」
男はもともと、スイの里の神官だった。
幼くして両親を失ったヒサメを養子に受け入れるなど、里の人々からの人望も厚い人格者だった。
だが、ある日。
男の目の前で彼の妻と実の子供が魔物に喰われた。
男はすぐさま危険な魔物がいると里に訴えたが…。
スイの里は、もともと争いを避けるため海底に移住してきた一族。
魔物といえどむやみに戦う事は出来ぬ、と一蹴され。
目の前で起こった惨劇と里の対応に、男はとうとう壊れてしまった。
愛する妻や実子が喰われた事には意味があるはずだ、意味がないわけがない。
あの魔物は里の守り神の使いで、二人は神の御許へ召されたのだ。そうに違いない。
ならばもっと多くの信徒を神の許へと送れば、里はさらなる守護を得られるはず!
そんな考えに思考を乗っ取られ、男はそれを演説するようになってしまった。
もともと人望が厚かったため、その狂言を信じる者も少なくはなく。
しかし、自身や家族の命を捧げることに躊躇した里の者は、とうとう。
旅人であるというマンダフ達を襲うという凶行に出たのだ。
その結果、ああなったわけだが…。
「……お義父様は…、望んでいたのかもしれない…」
あの魔物に、喰われるという事を。
涙も流さず言うヒサメの様子があまりに痛々しく。
「……なぜ、お前が泣いているのだ」
自身を抱きしめ大粒の涙を流すシファにヒサメは苦笑していたが。
「……何をする」
シファとは反対側からヒサメとシファの二人をマンダフは抱き込み。
「こうすれば、だれにも見えないでしょ?」
シファと、ヒサメの頭を優しく撫でた。
その手の優しさと温かさに、今は亡き優しかった頃の養父の面影が重なり。
「うっ…く…ふっ…」
乙女の涙はさざ波に消えていった。
日も落ち月が優しく辺りを照らす頃。
「君は、これからどうするんだい?」
落ち着きを取り戻したヒサメにマンダフが尋ねると、彼女はどこか寂しげに笑い。
「さて、どうするかな…知り合いがいるわけでもなし。放浪の旅にでも…」
と、そこで、シファが両手でぎゅっと彼女の手を握った。
そして、マンダフを手招きし。彼女の手を握ったまま一方の手でマンダフの手を握る。
そんな彼女の行動に、どういう意味だと怪訝な顔をするヒサメに、その意味に気付いて苦笑をするマンダフ。
「あ〜…。行くあてがないなら、私たちと来るかい?」
それを聞いて、ヒサメは目を見開いた。
「私たちはもともと修行の旅の途中だし…君さえよければ…」
「あ、いや…しかし…お前たちは夫婦…」
「あ!違うよ!?シファはえっと、大切な仲間だけど、その、夫婦とかじゃなくて、その!」
そんなマンダフの申し出に、一瞬嬉しそうな顔をしたヒサメだったが、すぐに夫婦の中に女が混ざるのはいかがなものか。と尋ねようとしたが、すぐに顔を赤くしたマンダフに否定される。
そんなマンダフの様子にくすくすと笑うシファに、ヒサメは。
「良いのか?夫婦でないのならば私が奪うかもしれないのだぞ?」
とマンダフに聞こえぬように小さく言えば、彼女はまるで望むところだと言わんばかりに胸を張り。
「それにね、なんだか…シファが、君と一緒にいたいみたいなんだよね。…ダメかな?」
最後の一押し、とばかりにマンダフにおずおずと言われ、シファに逃がすものかと言わんばかりに抱き着かれ。
行く当てもなかったヒサメはそんな対照的な二人の様子にふきだして。
「…では、改めて…。私はヒサメと言う。これから、よろしく頼む」
笑いがおさまってようやくそう言うと。
「私はマンダフ。彼女はシファ。よろしくね、ヒサメ」
マンダフは笑顔で手を差し出し、ヒサメはそれを握り返し。
嬉しそうに微笑むシファがそんな二人の腕に己の腕をからめ。その勢いで倒れそうになる乙女たちをマンダフが支え。
三人は、顔を見合わせ笑いあった。
つづく
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