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2019年04月23日09:24

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もしかすると大発見!「五山文学」の文献中に漢詩二行の梁祝(リャンチュウ)の文字! 『良三伯墓・祝英臺墓』発見

もしかすると大発見!「五山文学」の文献中に漢詩二行の梁祝(リャンチュウ)の文字! 『良三伯墓・祝英臺墓』発見
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2019.04.23 Tuesday

これまで寧波の中国梁祝研究会の周静書会長に中国に招かれるたびに日本の歴史書のどこかに「梁祝の文字」はないか探してくれとくどく言われ続けていた。だがこちらの狭い知識の範囲ではどうにも見つけられず、「何処にも見つけられません」とオウム返しの返事をしていた。


4月16日、突然、現在上海で働いている「周友文」(寧波・上虞・宜興への同行通訳、細々とした連絡をしてもらっている)から一通「路暁農先生の悩みに協力を」というメールが来た。その内容は


先生:こんばんは
先週の日曜日、この前お世話になった(宜興観蝶まつり)路先生に呼び出され協力するために会いました。目的は上海図書館に保管している「五山文学」の本にある梁祝を述べている部分を洗い出すことです。残念ながら、この本は「五山文学全集」ではないので、ほしい内容が見つかりませんでした。路先生は20年間をかけて、国内・海外の文化に梁祝を述べている文書(例えば、物語、詩など)を集め、本を出版する活動をしていて、この中に、「五山文学全集」という本の中に梁祝を述べている詩があると聞いていますが、なかなか見つからなく、悩んでいます。周の勝手の思いですが、先生が日本にいますので、添付資料の3つの文書を「五山文学全集」から検索し、この文書をきれいにコピーしていただき、pdfでこちらに送付してもよろしいでしょうか。ご確認の程よろしくおねがいします。以上です。写真右より二人目が「周友文」さん→



この依頼を受け早速、地元の図書館にある岩波の「五山文学全集」二冊を借り出したが、いずれも抄訳で梁祝に該当する詩は見いだせなかった。それで「五山文学全集」の本体全五巻のある「国会図書館」へ4/20出かけ閲覧した。依頼された、「義堂周信」「明極楚俊」という人物が、それぞれ梁祝の墓(或いは死か?)に寄せた二行の漢詩の該当箇所は全部見つけ出したが、これは既に1900年代に活字化され整理されたものであったがコピーした。



筆書きの「原本」にまではたどり着けなかった。国会図書館の担当者の話では「はっきりとは言えないがどこかにあるのではないか」との回答だった。これは今後の課題だ、仏教系の大学の図書館、或いは「五山文学」漢詩の研究者にたどり着けば解決するかもと思っている。



注: 五山文学 ござんぶんがく
鎌倉時代末期(1300年代)から室町時代末期(1400年代)にかけて発達した禅僧による漢詩文の総称。鎌倉時代に学僧が渡宋し,また中国の禅僧が帰化するようになり,僧侶の間に漢詩文が流行した。鎌倉末期から江戸初期(1600年代)にかけて、京都五山・鎌倉五山の禅僧たちにより書かれた漢詩文・日記・語録の総称。中国の宋・元文化の影響のもとに栄えた。


せっかく国会図書館にまで出かけたので、
午前中から出かけたのだが帰りはもう夕方となったので梁祝会広報部長Tsukaさんを呼び出し神田で一献傾けた。
その時の様子を、Tsukaさんが氏のブログ「夢酔独言」に取り上げてくれましたので、以下に全文転載させていただきました。以下Tsukaさんのブログです。



2019年4月20日 (土)



五山文学と梁山伯と祝英台!?

Photo_37 梁祝(リャンチュウ)愛情故事の更なる調査・研究を続ける渡辺明次先生。
調べ事で今日は国会図書館に行くので、夕方神田で会えないか?との連絡が。

Photo_39昨年参加した、中国・宜興で開催された「梁祝演劇祭」に招聘くださった、路暁農先生からの依頼だそうだ。

夕方4時、ここは神田の居酒屋、「清龍(神田店)」。先日入った池袋本店の支店で渡辺先生お気に入りの店です。

先生は早速、今日の収穫をテーブルに広げ「今の段階では希望の全てが見つかったわけではないが」と言いつつ、語り始めたのは『五山文学』の説明。

Photo_38『五山文学』とは、鎌倉時代末期から室町末期、京都・鎌倉の五山禅林を中心に、禅僧の間で発達した漢文学の総称で、中国宋の禅林で詩文が盛行し、日本から学僧が渡宋、また中国の禅僧が帰化するようになり、僧侶の間に漢詩文が流行。後に、双璧(義堂周信 と絶海中津)の出現により盛況をきわめた。というもの。

しかし、年代が全く違う「梁祝愛情故事」とどんな関係があるのか?私の疑問に対し、実はそれが渡辺先生のミッションで、国会図書館でこんな漢詩文を見つけてきたのです。上の写真は部分アップですが、左から祝英臺墓、良三伯墓(梁山伯墓の間違えか?)、そして羲之故居)

Dvd_3 えっ!?右端の羲之故居とは書聖・王羲之の名ではないのか?私は驚き疑問を投げかけました。
これから先生が研究されるので、今日はここまでですが楽しみですね〜

Wan梁祝故事と王羲之は4世紀に実在した訳だが、五山文学は13〜16世紀。こんなに時間を隔ててまで名前が並んで登場するとは、何という因縁か。

「梁祝」と「五山文学」の関係は、かなりの学者さんでも知らないでしょう。と渡辺先生(笑)

Kimg0013 ところで余談ですが、私が敬愛する一休宗純(とんちの一休さん)の著書『狂雲集』も広義では五山文学に入るそうで、
私の知る限り、室町後期の社会は僧侶たちの堕落が横行し、嘆き、憂慮した一休は自ずから不良禅僧と化し編纂したのが『狂雲集』。
★うろじより むろじへ帰る 一休み 雨降らば降れ 風吹かば吹け <一休宗純>
※有漏路(うろじ)とは現世(この世)、無漏路(むろじ)とは来世(あの世)。

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