初めてお会いしたのは1989年のワンダーフェスティバル会場でした。
JR浜松町駅近くの産業貿易会館(だったっけ?)で、初日が展示のみで2日目が販売でした。主催はゼネラル・プロダクツというGAINAXの前身の会社。
友人のTOMOちゃんと初上京した時で、彼の兄が参加しているから行ってみようということで会場に足を運びました。
会場内の机の上(サークルスペース)にはたくさんのガレージキットの完成品が並べられていて、世の中にはこんなスゴイものを作る人たちがいるんだ〜と驚いたものです。
そんな中に美少女フィギュアを展示しているサークルがありました。その完成品と原型を造ったのがTOMOちゃんの兄でK.PIEROという人。そしてスペースに一緒にいたのがGOROさんでした。
なんだかんだで翌日の販売時も(並ばずに入れるよと言われて)手伝いに行き、以後何度もワンダーフェスティバルで上京することになるのですが、その時にいつもGOROさんの部屋に泊めていただきました。
北九州市から上京したGOROさんはOさんという人と新小岩でルームシェアしていて、最初は立体物の仕事をしていたそうです。自分が部屋に行った時に「これ集〇社の仕事〜」と見せてくれたのが西洋のお城にジャ〇プのロゴが入ったもの。
立体物の仕事がやりたくて上京したんですか?と尋ねたら、違〜う!ロボットが描きたいの!メカデザインしたくて上京したの!とおっしゃられました。さらに、どうしてやらないんですか?と聞くと依頼がこないからだよ!とストレートなお答え。プロでやっていくのって大変なんだなぁ〜と若き日の自分は思ったものでした。
以後、GOROさんとの会話は自分が素直すぎることを言って「なんだと〜」と怒られる(でも顔は笑っている)パターンとなります。
資料と本とモノが積み上がった狭い部屋に、ヒドイ時は3、4人が寝るという有様でしたがGOROさんが嫌がった記憶はありません。いつも人懐っこい笑顔で迎えてくれました。
やがてアニメーションの仕事を受けるようになり、「鉄人28号FX」ではメカニックデザインとしてクレジットされて、みんなで喜んだものでした。
その後はアニメ、ゲーム、イラストなど様々な分野でお仕事をされていたのですが、小さな仕事などがあまりに多くて全部は把握できない状態に。
住んでいた部屋も新小岩から下井草、井草、下井草と変わりました。自分もワンダーフェスティバルからコミックマーケットへと参加場所が変わっていきましたが、GOROさんのところに泊めてもらうのは相変わらずでした。
一番多い時だと年間10回くらい上京した時があり、その度にGOROさんのところに行ったものだから「都内にいる友人より九州から来るキミに会う回数の方が多いぞ」と言われたり。それは、もういい加減にしろって意味ですかねぇ?と尋ねたら、そうじゃないよと言ってくれましたが目は真剣だったような気も。
長くなったので残りは明日以降、ということにします。
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